牧師のあいさつとプロフィール

 

私が教会に通うようになったのは、20代も半ばを過ぎてからのことです。

 

クリスチャンではなかった私が、実家の近くにあった教会に何の気なしに足を踏み入れたところ、一回り以上年長の牧師先生と、まるで長年の付き合いであったかのように深く理解し合うようになり、毎週の説教を楽しみに一週間を過ごすようになって、気づいたら、自分が説教をする立場になっていました。

 

ここ数年の歩みを振り返るたびに、誰よりも自分自身が驚かされています。

 

他のどこでも聞けないような、人の生き方を根本から変える力を聖書は持っています。

 

そのことを、私は自分の人生において知らされたのです。

 

「生き方を変える」と言うと、何かとても恐ろしいことのように聞こえますが、そうではありません。

 

聖書のメッセージは心の在りように向けられたメッセージです。

 

ですので、「生き方を変える」というのは私たちの心の内にある、憎しみが愛に、絶望が希望に、悲しみが喜びに変えられることです。

 

けれども、よくよく考えてみると、これはとても困難なことで、もっと言うと、非常識ですらあります。

 

憎むべき人をも愛する、絶望すべき状況にも希望を抱く、悲しむべき事柄にも喜ぶ……。

 

もしそうできるなら、限りない平安がそこにはあるのでしょうが、いったい誰にそんなことができるというのでしょうか。

 

聖書のメッセージは倫理でも道徳でもありません。

 

むしろ、聖書は私たちの常識に挑戦してくるものです。

 

憎むべき人を憎むことで憎しみにとらえられていた自分に、絶望すべき状況に絶望することで絶望すべき状況を作り出していた自分に、悲しむべき事柄を悲しむことにしか慰めを見いだせなかった自分に、聖書は挑戦してくるのです。

 

そして、その挑戦を受けるとき、私たちの生き方は変えられます。

 

私は、皆さんと一緒に聖書のメッセージを分かち合う務めを与えられたことを、心から喜んでいます。

 

互いに愛し合い、希望を抱いて、喜びつつ歩んでいきましょう。

 

まだ教会にいらしたことのない方も、どうぞいらしてください。

 

私も含めて、この教会には、数年前まで教会に来たこともなかった方が大勢いらっしゃいます。

 

それが今や、毎週喜んで教会に通っておられるのです。

 

難しい話はしませんし、できませんし、する必要もありません。

 

ただ、一緒に聖書のメッセージを分かち合って、慰め合い、励まし合いながら、新しい歩みをなしていきたいのです。

 

 

 

牧師プロフィール

1979 年、神戸市のノン・クリスチャンの家庭に生まれる。 高校卒業までを神戸で過ごし、慶應義塾大学文学部人間関係学科人間科学専攻卒業。 学生時代に心理学と社会学をベースに人間意識のありようについて学ぶ。 2006年から教会に通うようになり、翌年に文学博士でもある牧師から洗礼を受け、神戸改革派神学校で学んだ後、当教会に赴任。