ルーカス・クラナッハ『アダムとイブ』(1528年)
ルーカス・クラナッハ『アダムとイブ』(1528年)

人間について

 

聖書は、「人間は皆罪びとである」と語ります。

 

「罪びと」だなどと言われても身に覚えのない人が多いのではないかと思いますが、聖書でつかわれている「罪」という言葉は、「的外れ」という言葉です。

 

人間が自分自身を何よりも愛してしまうところから来る的外れが、聖書の語る「罪」です。

 

神から食べてはいけないと命じられていた木の実を、おいしそうだったので食べてしまったアダムは、神から問われたとき、謝らなければならないはずなのに、イブのせいにした。

 

イブも神から問われたとき、謝らなければならないはずなのに、自分をそそのかした蛇のせいにした。

 

ここに現れているのが「罪」です。

 

自分自身を愛しすぎてしまうゆえの「的外れ」。

 

「自己中心」とか「エゴ」とか言った方が分かりやすいかもしれません。

 

要は、人間すべてに当てはまる性質です。

 

聖書で指摘されていることは、人間はその性質のために、正しく愛するために与えられた教えで、人を裁いてしまうということです。

 

愛するための教えを、自分で自分を立てるために用いてしまい、自分と違う人を非難するようになってしまうわけです。

 

手段を目的にしてしまうという、やはりすべての人に当てはまる「的外れ」です。

 

つまり、私たちには自覚はありませんが、人間は皆、そのような「罪」に支配されているのです。

 

イエス・キリストの生涯と教えにあるのは、そこから自由になる道です。

 

イエス・キリストの自分自身を与える愛を知ることで、人は自己愛から自由にされて、的外れでない人生を歩むことができるようにされるのです。