神について
こんな話を聞いたことはないでしょうか。
「世界中の宗教の中で、ユダヤ教と、そこから派生したキリスト教、イスラム教だけが一神教である。他はすべて多神教である。これは、ユダヤ教が発生した地域が砂漠地帯であるからである。厳しい自然環境に置かれた人間は、自然の中に多くの神々を見出すことができず、唯一絶対の神を夢想するようになる」。
いわゆる、「砂漠の宗教(=一神教)」という話です。
しかし、この考え方は正しいのでしょうか。
砂漠は世界中、どこにでもあります。
また、「厳しい自然環境」というなら、極寒の地もそうでしょう。
ではいったいどうして、イスラエルにだけ一神教が生まれたのでしょうか。
それも、同じ自然環境を共有する周辺の民族の宗教は、多神教であったにもかかわらず、です。
人間が普通に生きていれば、山には山の、川には川の神がいると考えるようになるのが当然です。
自然は人間の意思を超えて、それぞれに生きて動いていますから、人間の側から世界を理解しようとするなら、その試みはどのようなものであれ、多神教的にしかなりえません。
一神教が誕生しうるとすれば、それは、神がご自分の側からご自分を啓示した場合だけであるはずです。
そして、聖書には、神がご自分の側からご自分を啓示したことが記されているのです。
聖書に描かれている神は、「厳しい自然環境」を思い起こさせるような神ではありません。
すべての人を愛し、赦す神です。
時代も、地域も、民族も、一人ひとりの個性も超えて、すべての人を愛し、赦す神です。
神は私たちの存在そのものを見ておられ、私たちがどのような人間であったとしても、私たちを愛し、赦してくださるのです。
そんなふうに私たちを見てくれる人が、誰かいるでしょうか。
聖書の神は、人間が作り出した神ではありません。
聖書には、神の言葉として、このような言葉があります。
「私の目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」。
これが英語の聖書では、"Very Important Person in God's Eye"と訳されています。
私たちは皆、神の目には、VIP(最重要人物)なのです。
神の愛は何よりも大きく、誰でもそのふところに飛び込むことができます。
神の愛の中にこそ、私たちが他で味わうことができない本当の平安があります。
どうぞそのふところに、飛び込んでみてください。
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