今週の説教「祝福しながら」(新約聖書・ルカによる福音書24章44節から53節)

⛪今週の予定

4/30(月・祝)牧師週休日

5/1()聖書を読む会(10:30-12:00)

5/2()牧会事例研究会(みずほ台、16:00-17:30)、聖書を読む会(19:30-20:30)

5/4(金・祝)それぞれの置かれた場所での祈り(9:00-9:1021:00-21:10)

5/6()学び会(9:00-10:00)、教理クラス(その日のハイデルベルク信仰問答、10:00-10:15)、礼拝(10:30-12:00)、食事会(12:00-13:00)、役員と役員候補者の学び会(13:00-15:00)、小会(15:00-17:00)、掃除

 

🎤5/6()の説教:尾崎牧師

聖書・エフェソの信徒への手紙610節から18

説教題「まことの戦い」

賛美歌・141323862803928165-12440-5

 

📅7月までのイベント

【教会】

512()子どもお楽しみ会(14:00-16:00)

513()母の日

520()ペンテコステ礼拝・バーベキュー(兼ユース集会、12:00-15:30)

617()父の日・ユース集会

715()ユース集会

【中・大会】

519()三教会の役員と役員候補者の勉強会(江古田教会、13:00-15:30)

529()東部中会婦人会総会・修養会

610()埼玉西部地区役員研修会、第2回運営委員会

612()大会役員修養会(14[]まで)

73()東部中会第一回臨時中会

729()連合長老会例会・連合執事会例会

 


ヽ(*´∀`)ノ いつ? 2018年5月12日(どようび)14じから16じ

ヽ(*´∀`)ノ どこで? 光が丘キリスト教会(かすがちょう4-37-26)

ヽ(*´∀`)ノ なにするの? よみきかせ、ははのひカードづくりなど

 

小さい子も小学生もまってるよ♥

はじめてきょうかいにいく子ももちろんOK!!



「祝福しながら」

 

ルカによる福音書2444節から53

 

44イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」45そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、46言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。47また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、48あなたがたはこれらのことの証人となる。49わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」

 

50イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。51そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。52彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、53絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。

 

 

 

 

 

今日は初めて、スマートフォンで説教の録音をしています。

 

どうやらスマートフォンで録音すると、アップする時に楽だということが分かりまして、挑戦してみたんですね。

 

うまくいくかどうか分かりませんけれども、インターネットのことというのはとにかく挑戦してみなければ始まりませんので、挑戦してみています。

 

そうは言っても私は実はインターネットのこととなりますと大の苦手なんですね。

 

インターネットのことは勉強しなければできるようになりませんので、それが苦手なんです。

 

何と言うか、機械を使うのに勉強しなければならないというのが、何だか理不尽なことのように感じるんですね。

 

私の場合は1979年生まれなんですけれども、私は生まれた時にすでに身の回りに機械がたくさんあった世代ですね。

 

冷蔵庫も洗濯機もテレビも電話も、生まれた時に全部ありました。

 

ですけれども、私が生まれた時にあった機械というのは、もう全部、ボタンを一つ押せばすぐに動くような機械ですね。

 

機械っていうのは簡単なものなんです。

 

そして、機械というのは人間の言った通りに動いてくれるんですね。

 

そういう感覚が私にはありますので、インターネットは苦手です。

 

だいたい、勉強しなければ動いてくれないというのが納得できないんですね。

 

何とか動かしてみて、それで思ったようにいかないと、何だか機械にバカにされているような気分になってしまうんです。

 

そこへ行きますと、若い人たちはすごいですね。

 

新しい技術が次々に出てくるんですけれども、すぐに対応して、使いこなすんですね。

 

私なんかはなかなかついて行けないんですけれども、若い人たちはそんなことはなくて、いつも時代の最先端にいるんですね。

 

見習わなければいけないなあと思いますけれども、苦手意識がありますので、なかなかそうはいかないんですね。

 

まあとにかく、時代というのはどんどん移り変わります。

 

いつか、今の若い人たちも大人になって、やがて、今私が味わっているのと同じ気持ちを味わうことになるかもしれません。

 

ただ、私たちには聖書という神の言葉、永遠に変わらない神の言葉が与えられているんですね。

 

けれども、聖書の中にも時代が変わるということがあります。

 

先週から読んでいるところですけれども、イエス様の復活の前と後で時代が変わった、というのが一つのテーマではないかと思いますね。

 

復活の前と後で、イエス様と弟子たちの付き合い方が変わったんです。

 

イエス様の立ち位置が変わって、それによって、弟子たちの立ち位置も変わるんですね。

 

今日も、そのことが分かるような言い方をイエス様はしておられますね。

 

弟子たちに対して、「まだあなたがたと一緒にいた頃」と言っておられますよね。

 

これ、不思議な言い方です。

 

これだと、あなたがたと一緒にいたのは昔の話だ、ということになってしまいますけれども、今、イエス様は弟子たちと一緒にいて、弟子たちに話しかけているんじゃないですか?

 

それなのに、こんな言い方をしているんです。

 

これって、イエス様と弟子たちとの関わり方が変わったっていうことなんです。

 

イエス様は弟子たちと一緒にいたのは昔のことだと言っていますけれども、考えてみると、イエス様は、復活した後弟子たちの前に何度か姿を現したんですが、ずっと一緒にはいませんね。

 

今まではずっと一緒に生活してきたんですけれども、これからはもう、一緒に生活をするということはなくなるということですね。

 

そして、今日読んだ場面では、イエスは最後には天に挙げられることになるわけです。

 

イエス様の立ち位置が変わるんです。

 

そうなると、弟子たちの立ち位置も当然変わります。

 

それに当たって、最後に弟子たちに残していった言葉が今日の言葉です。

 

これ、私たちも心して聞きたいですね。

 

イエス様が天に昇って行った後の時代を、私たちも生きているんです。

 

その意味で私たちは今日の場面に出てくる弟子たちと同じなんですね。

 

まず、イエス様は弟子たちに対して、イエス様について聖書に書かれている事柄は必ず実現すると言っています。

 

では、聖書にどういうことが書かれているのかと言うと、「次のように書いてある」とイエス様は言っていますね。

 

救い主であるメシアは、苦しみを受けてから復活するということ。

 

それから、「罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」ということですね。

 

イエス様の苦しみと復活はすでに起こりました。

 

これから起こるのが、「罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によって」、つまり、イエスの名によって、「あらゆる国の人々に宣べ伝えられる」ということですね。

 

それはどのようにして起こるんでしょうか。

 

イエス様は天に昇られるわけですから、イエス様がなさるわけではありません。

 

今まではイエス様が悔い改めを宣べ伝えるということをしてくださっていて、弟子たちはその聞き役だったわけですが、これからはそうではありません。

 

続いて言われていますね。

 

弟子たちは、「これらのことの証人となる」んです。

 

弟子たちが証しをしていくんですね。

 

証ということは、事実を説明するということです。

 

弟子たちが、イエス様の十字架の死と復活を証し、イエスの名によって悔い改めを人々に伝えていくんです。

 

これから、新しい時代に入るんですね。

 

イエス様は天に昇って行かれて、地上で弟子たちが宣べ伝えていく。

 

そうして、人々の罪が赦されていく。

 

悔い改めということが言われていますけれども、この言葉は原文で見ますと、「立ち返る」という言葉です。

 

神に立ち返ることが悔い改めなんですね。

 

ということは、普通、人は、神から離れてしまっているんです。

 

その人たちが、神のもとに帰ることを弟子たちが促していくということですね。

 

そして、神のもとに戻ろうとする人たちを、神は受け入れてくださるんです。

 

ご自分のもとに置いてくださるんですね。

 

ですので、新しい時代というのは、神と人が共にある時代です。

 

その時代に私たちもいるんです。

 

そして、そのことを、イエス様は聖書から説明しています。

 

新しい時代を生きる基本は、やはり聖書にあるんだということですね。

 

ただ、聖書を読んでいれば誰でもそれで大丈夫かというと、そうとは言えません。

 

イエス様は弟子たちに聖書の話をするにあたって何をしていますか。

 

「イエスは聖書を悟らせるために彼らの心の目を開い」た、ということなんですね。

 

イエス様が弟子たちの心の目を開いてくださった上で、聖書の話をしたんです。

 

ということは、弟子たちですら、心の目が閉じていたということになりますね。

 

ここのところの原文を読みますと、「目」という言葉はありません。

 

単に、「心を開いて」と書かれています。

 

人間というのは、心が閉じているんです。

 

神に対して心が閉じているんです。

 

だからまず、神の言葉を聞くにあたって、心を開いてくださる。

 

それはイエス様のしてくださることですね。

 

そして、イエス様がしてくださるのはそれだけではありません。

 

神の霊を弟子たち一人一人に送るという約束もしてくださっていますね。

 

私たちの心を開いてくださって、神の霊も与えてくださる。

 

だから、聖書の通りの出来事が実現する、とイエス様は言っているんです。

 

そうなりますと、もう、この肉の目にどのように見えるかというようなことは問題ではないですね。

 

神の出来事が起こるということなんです。

 

神が、神の出来事の中に人を置くということなんです。

 

肉の目にイエス様の肉体が見えるかどうかなんていうことはもう問題ではないんですね。

 

新しい時代は信仰の目を開いて生きる時代です。

 

信仰の目を開いて、神の言葉を理解して、それを証ししていく時代。

 

そして、信仰の目で神の働きが実現していくのを見る時代なんです。

 

その時、私たちには神の霊が共にいてくださる。

 

神と共に生きる時代。

 

そういう時代が来るんですね。

 

だから、今日、イエス様は弟子たちに対して、あなたがたは伝道者になるとは言いませんね。

 

伝道者ではなく証人なんです。

 

何か大きな事業をなしとげるわけではありません。

 

ただ、証しするんです。

 

聖書に照らして、起こった出来事を説明するんです。

 

イエス様は人間の力を求めているのではありません。

 

だからこそ、神の霊を送ってくださるんです。

 

神の力で、神の出来事が起こっていきます。

 

その神の力を信頼するというのが、これからの時代の弟子の在り方なんですね。

 

そして、最後の場面。

 

最後の場面で、イエス様は弟子たちに何をしてくださっていますか。

 

祝福してくださるんですね。

 

私たちは普通、人と会って別れる時には背を向けて別れるということになるんですが、そうではないんですね。

 

イエス様は最後の最後まで、弟子たちを祝福してくださるんですね。

 

この「祝福」という言葉は、原文で見ると、「良い言葉を語る」という言葉から来ています。

 

弟子たちを大いに励ましてくださったということになるでしょうか。

 

そうすると弟子たちはどうでしょうか。

 

その言葉に、弟子たちは大喜びしたんですね。

 

もうイエス様とは目に見える仕方では会えないのに、大喜びするくらいの言葉を弟子たちは聞いたんです。

 

そして、弟子たちは神をほめたたえたと書かれています。

 

この、「ほめたたえる」という言葉も、原文では、「祝福する」という言葉なんです。

 

良い言葉を語ったということですね。

 

こちらは感謝と賛美ということでしょうか。

 

イエス様が良い言葉を語ってくださって、弟子たちも良い言葉でイエス様に応える。

 

これが、新しい時代のイエス様と弟子たちの関係なんですね。

 

大喜びするような良い言葉がイエス様と弟子たちの間を往復していくんです。

 

今まではイエス様と一緒に生活してきました。

 

これはから、良い言葉を語り合っていくんですね。

 

私たちが今ここでやっていることも同じことです。

 

私たちは感謝と賛美を現わしているんですね。

 

そして、イエス様もその私たちに良い言葉を語ってくださっています。

 

イエス様は弟子たちを祝福しながら天に挙げられました。

 

ですから私たちは信じていいですね。

 

イエス様は今も、私たちを祝福してくださっている。

 

その祝福はどれだけ大きいでしょうか。

 

今、イエス様がこの時言ったように、世界中にキリストの教会が建っています。

 

まさに、あらゆる国の人々に聖書が宣べ伝えられて、あらゆる国で、神と共に人が生きる生き方ができてきたんですね。

 

私たちは今、そのような時代にいます。

 

神と共に生きて、祝福されて、賛美する。

 

それが私たちの生き方です。

 

新しい時代の、新しい生き方です。