
✜6/12(火)大会役員修養会(豊橋市、14日[木]まで)
✜6/14(木)コンディショニング・ストレッチ(13:00-14:20)
✜6/15(金)それぞれの置かれた場所での祈り(9:00-9:10と21:00-21:10)
✜6/16(土)牧師週休日
✜6/17(日)学び会(9:00-10:00)、教理クラス(その日のハイデルベルク信仰問答、10:00-10:15)、奉仕前祈祷(受付以外の奉仕者、10:15-10:25)、礼拝(10:30-12:00)、父の日祝会、お茶会、ユース集会(江古田教会、12:00-16:00)、掃除
🎤6/17(日)の説教
説教題「クリスマスの背後で」
賛美歌・122、32、38、484、575、497、65-1、24、40-5
📅9月までの教会の行事
✜7月15日(日)ユース集会(当教会にて、7月16日に江古田教会で夏祭り)
✜8月11日(土)夏休みこどもお楽しみ会
✜8月19日(日)献堂記念日・ぶどう狩り・ユース集会
✜9月16日(日)ユース集会(会場未定)
✜9月29日(土)バザー
📅9月までの中大会の行事
✜7月3日(火)東部中会第一回臨時中会
✜8月12日(日)~14日(火)東部中会青年会夏期修養会
✜8月12日(日)埼玉西部地区8・15集会、運営委員会
✜8月14日(火)~17日(金)全国高校生会「サマーデイズ2018」
✜8月23日(木)~25日(土)ヤングサマーバイブルキャンプ(牧師出席。ご出席をご希望の方はお声をおかけください)
✜8月28日(火)~30日(木)東部中会学生会夏期修養会
✜9月17日(月・祝)東部中会信徒修養会
✜9月23日(日)埼玉西部地区講壇交換(尾崎純牧師は川越教会へ、当教会は長田詠喜牧師)
✜9月30日(日)連合長老会例会、連合執事会例会

別の道を通って
マタイによる福音書2章1節から12節
1イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、2言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」3これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。4王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。5彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
6『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
7そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。8そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。9彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。12ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
イエス様は「ヘロデ王の時代に」お生まれになった、と聖書は伝えています。
これが最初のクリスマスだったわけですね。
しかし、クリスマスの場面として、今日の場面はどうでしょうか。
何かこう、非常に暗い雰囲気ですね。
イエス様はそのような時にお生まれになりました。
このヘロデ王という人が実は大変な人だったんですね。
この人は、残酷な王であったということで歴史に名前を残しているような人です。
自分が王になるために何人もの人を殺しています。
自分の立場を守るためにも、自分の親せきも次々に殺したような人なんです。
ついでに申し上げると、この人は自分が死ぬ直前には、エルサレムの町の有力者を皆殺しにしたと言われています。
自分を守るためならどんなことでもする、という人だったんですね。
自分を守るためなら人を殺しても構わない、という人だったんですね。
もう、こういう人にだけは王になってほしくない、という人だったんです。
その人のところに、占星術の学者たちがやってきました。
そして、この人たちはヘロデに対してまずい言葉を言ってしまいますね。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」。
これ、まずいですよね。
「ユダヤ人の王はどこにいますか」って、ヘロデは自分だけが王だと思っているんですから。
そんなことを言ったらヘロデはもうびっくりして、今度は誰を殺すか、という話ですよ。
「ヘロデ王は不安を抱いた」って書かれていますけれども、不安を抱えて黙っているような人ではないんです。
ですので、それを知って、エルサレムの人々も皆、不安になってしまったということですね。
4節で、ヘロデが国会を開きます。
「メシアはどこに生まれることになっているか」。
それを議員たちに聞くんですね。
メシアというのは、旧約聖書に預言されていた救い主のことです。
ヘロデは、占星術の学者たちが言っていたことは救い主のことだと気づいているんですね。
「ユダヤ人の王」と聞いただけでしたが、遠く東の外国からわざわざ占星術の学者たちが訪ねてきたので、これは旧約聖書に預言されていた救い主のことに違いないと気づいたんですね。
そのヘロデの質問に対して、議員たちは答えます。
ですけれども、これは問題ですね。
そんなことをまともに答えてしまったら、ヘロデが何をするかは分かるはずです。
実際、この後どうなったかというと、16節ですね。
ベツレヘムとその周辺にいた2歳以下の男の子を皆殺しにしたんですね。
どうして2歳以下なんだ、と思うかもしれませんが、今日の7節で、ヘロデは占星術の学者たちに、メシアが生まれたしるしの「星の現れた時期を確かめた」と書かれていますので、その星が現れたのが2年前ということだったのかもしれません。
次の8節で、ヘロデは、「わたしも行って拝もう」なんて言っていますが、もちろんそれは本心ではありません。
見つけたら殺すつもりです。
それは最初から分かっていることなんですから、議員はヘロデの質問に答えるべきではなかったんです。
第一、この議員たちは、もし救い主が生まれたというのなら、自分がそこに行くべきではないでしょうか。
行って礼拝するのが正しいことではないでしょうか。
でも、行こうとしないんですね。
ヘロデが恐ろしくて、救い主が生まれたと言っても、何もすることができない。
これは、恐れというものの恐ろしさですね。
自分のしていることが正しくない、間違っていると分かっていても、できない。
恐れに支配されてしまって、自分を守ることしか考えられない。
それはヘロデも同じだったでしょうね。
自分の立場が危うくなるかもしれないという恐れに支配されて、自分を守ることしか考えられないんです。
これは私たちも心したいですね。
恐れに支配されて、自分を守ることしか考えなくなると、もう、キリストのところに行くことはできないんです。
ヘロデも、議員たちも、町の人たちも、みんなそうだったんですね。
それに対して、占星術の学者たちはイエス様に向かっていきます。
神の民であるユダヤ人が恐れにとらわれて何もできないでいるんですが、外国の、それも占星術の学者が、イエス様に向かって進んでいくんですね。
これは大変なことです。
何しろ、学者といいましても、ここに書かれている学者という言葉は原文では「マギ」という言葉でして、魔術師を意味する言葉なんです。
神の民が自分のことしか考えていないのに、魔術師がイエス様のところに行こうとしているんです。
そこに、再び星が現れます。
「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」んですね。
喜びなんです。
イエス様に向かう時には、喜びがあると聖書は言っているんです。
イスラエルの人々は恐れですね。
自分を守ろうとする時には、人は恐れに支配される。
けれども、この魔術師たちは救い主に会えるという喜びにあふれているんです。
幼子キリストに出会った学者たちは、ささげものをします。
「黄金、乳香、没薬」ですね。
どれも高価なものですが、じつはこれらは占星術の道具だったとも言われています。
つまり、この人たちは、自分の一番大事なものをささげたんです。
自分自身をささげたんです。
学者たちは帰っていきます。
しかし、その道は、来た時とは別の道なんですね。
これはもしかすると自分を危険にさらすことかもしれません。
何しろ、ヘロデから、「見つかったら知らせてくれ」と言われているんですから。
しかし、学者たちはもう、同じ道は歩まないんです。
考えてみると、占星術というのは、星の動きによって、普通には知ることができないいろいろなことを知ろうとすることですよね。
それは、要するに、自分を守ろうとしていたということです。
星の動きから情報を得て、自分を守ろうとする、それを仕事にしていた人たちです。
けれども、この人たちはもう、「黄金、乳香、没薬」をささげてしまいました。
救い主に全てささげたんですね。
そして、別の道を通っていくんですね。
彼らはその道を、恐れながら歩いたでしょうか。
そうではないでしょうね。
救い主が自分を守ってくださる。
その思いで、喜びにあふれて歩いて行ったはずです。
救い主に自分をささげる時にこそ、不安を抜け出せるんですね。
自分の力も、占星術の知識も、本当の意味で自分を守ってくれるものではない。
本当に守ってくれるのは救い主だ。
聖書はそう言うんですね。
私たちを恐れから救い出してくれるのは救い主キリストだ。
これは神のメッセージなんです。
何しろ、この場面での星の動きですよ。
9節で再び現れたと書かれていますけれども、東の国では見えていたわけですよね。
星が消えたり現れたりしているんです。
そして、星が道案内をしてくれて、幼子キリストの家で止まったんですね。
星が動いたり止まったりしているんです。
そんな星はありません。
神は言っているんですね。
救い主の前に進み出なさい。
そうすれば、恐れはなくなる。
この占星術の学者たちに学びたいですね。
この人たちは星の専門家ですよ。
だとしたら、星がこんな動きをしたら、普通は不安になりますよね。
自分の常識がまったくひっくり返されるような出来事なんですから。
けれどもここで、占星術の学者たちは、自分を捨てて、神のメッセージを受け入れたんですね。
そこに、喜びがあふれてくるんです。
私たちも、ならいたいですね。
私たちも、自分の「黄金、乳香、没薬」を主にささげたいと思います。
自分を守るためのものを捨てたいんですね。
捨てると言いますか、それをキリストにささげたいですね。
そして、救い主に守っていただきたいですね。
私たちそれぞれに、自分の心に聞いてみたいですね。
何が自分の「黄金、乳香、没薬」でしょうか。
私たちみんな、きっと、何かそういうものを持っていると思うんです。
それを差し出したいですね。
何しろ、今、私たちは、礼拝をしているじゃないですか。
救い主イエス様を礼拝しているんですね。
私たちは、イエス様を礼拝した占星術の学者と同じところにいるんです。
「黄金、乳香、没薬」をささげましょう。
そして、別の道を通って帰りましょう。
もう、ヘロデの元には戻らない。
ヘロデに従わず、イエス様に従う道を行きましょう。
恐れに従わず、喜びにあふれる道です。
新しい道、イエス様に守っていただく道を歩んでいきましょう。
別の道を通って(走另一条路)
イエス様は「ヘロデ王の時代に」お生まれになった、と聖書は伝えています。
圣经上说耶稣生于希律王时代。
これが最初のクリスマスだったわけですね。
这就是最初的圣诞。
しかし、クリスマスの場面として、今日の場面はどうでしょうか。
可是,作为圣诞的场景,今天的场景如何呢?
何かこう、非常に暗い雰囲気ですね。
感觉非常阴暗恐怖。
イエス様はそのような時にお生まれになりました。
耶稣诞生在那样的时期。
このヘロデ王という人が実は大変な人だったんですね。
希律王这个人实际上很残暴。
この人は、残酷な王であったということで歴史に名前を残しているような人です。
此人在历史上是以暴君被记载下来的。
自分が王になるために何人もの人を殺しています。
为了成为王不管多少人都杀。
自分の立場を守るためにも、自分の親せきも次々に殺したような人なんです。
是为了维护自己的立场,连亲人都杀的人。
ついでに申し上げると、この人は自分が死ぬ直前には、エルサレムの町の有力者を皆殺しにしたと言われています。
顺便说一下,据说此人在临死前决定杀光耶路撒冷城中有权有势的人。
自分を守るためならどんなことでもする、という人だったんですね。
为了自己什么事情都做得出来的人。
自分を守るためなら人を殺しても構わない、という人だったんですね。
为了自己杀人都无所谓的人。
もう、こういう人にだけは王になってほしくない、という人だったんです。
再也不希望这样的人作王,他属于这样的人。
その人のところに、占星術の学者たちがやってきました。
几个占星家来到了他那里。
そして、この人たちはヘロデに対してまずい言葉を言ってしまいますね。
这几个人对希律王说了不该说的话,
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」。
“生下来要做犹太人王的人在哪里?”
これ、まずいですよね。
这很不妙啊。
「ユダヤ人の王はどこにいますか」って、ヘロデは自分だけが王だと思っているんですから。
犹太人的王在哪里?希律王自然认为自己才是王
そんなことを言ったらヘロデはもうびっくりして、今度は誰を殺すか、という話ですよ。
说这种话希律王已经很生气了,想着下次要杀谁了。
「ヘロデ王は不安を抱いた」って書かれていますけれども、不安を抱えて黙っているような人ではないんです。
圣经上写着希律王心里很不安,但他并不是心里不安什么也不去做的人。
ですので、それを知って、エルサレムの人々も皆、不安になってしまったということですね。
因此,了解这位国王品性的耶路撒冷的百姓也变得心里不安了。
4節で、ヘロデが国会を開きます。
第四节,希律王召开会议,
「メシアはどこに生まれることになっているか」。
询问在座的人弥赛亚会生在何处?
それを議員たちに聞くんですね。
向祭司和文士打听这个。
メシアというのは、旧約聖書に預言されていた救い主のことです。
弥撒亚就是旧约中预言的救世主。
ヘロデは、占星術の学者たちが言っていたことは救い主のことだと気づいているんですね。
希律王意识到占星家说的就是救世主。
「ユダヤ人の王」と聞いただけでしたが、遠く東の外国からわざわざ占星術の学者たちが訪ねてきたので、これは旧約聖書に預言されていた救い主のことに違いないと気づいたんですね。
虽然只听到说是犹太人的王,但是因为占星家们特地从遥远的东方赶来参拜,他意识到这肯定就是旧约中预言的救世主。
そのヘロデの質問に対して、議員たちは答えます。
祭司和文士回答了希律王的提问。
ですけれども、これは問題ですね。
但是这里有问题
そんなことをまともに答えてしまったら、ヘロデが何をするかは分かるはずです。
他们应该清楚如果按事实回答的话,希律王会做出什么事来
実際、この後どうなったかというと、16節ですね。
事实上后来怎么样了,看16节
ベツレヘムとその周辺にいた2歳以下の男の子を皆殺しにしたんですね。
将伯利恒及其周边两岁以下的男孩子全部杀掉。
どうして2歳以下なんだ、と思うかもしれませんが、今日の7節で、ヘロデは占星術の学者たちに、メシアが生まれたしるしの「星の現れた時期を確かめた」と書かれていますので、その星が現れたのが2年前ということだったのかもしれません。
大家可能会想为什么是两岁以下呢,在第7节写着,希律王向占星家们确认显示弥赛亚出生的那颗星星出现的时间,可能是出现在两年前。
次の8節で、ヘロデは、「わたしも行って拝もう」なんて言っていますが、もちろんそれは本心ではありません。
第8节,希律王说我也要去敬拜,显然不是真心的。
見つけたら殺すつもりです。
而是打算找到了杀掉。
それは最初から分かっていることなんですから、議員はヘロデの質問に答えるべきではなかったんです。
祭司和文士一开始就知道希律王会这样做,所以他们不应该作出回答。
第一、この議員たちは、もし救い主が生まれたというのなら、自分がそこに行くべきではないでしょうか。
首先、如果救世主降生的话,祭司和文士们不也应该去那里吗?
行って礼拝するのが正しいことではないでしょうか。
去敬拜才是对的。
でも、行こうとしないんですね。
但是他们并不想去。
ヘロデが恐ろしくて、救い主が生まれたと言っても、何もすることができない。
因为希律王太可怕,即便说救世主降生,也无能为力,
これは、恐れというものの恐ろしさですね。
这就是恐惧的可怕之处。
自分のしていることが正しくない、間違っていると分かっていても、できない。
即使知道自己做的事情是不对的错的,却不能不做,
恐れに支配されてしまって、自分を守ることしか考えられない。
完全被恐惧支配,只能考虑保全自己。
それはヘロデも同じだったでしょうね。
这点和希律王一样。
自分の立場が危うくなるかもしれないという恐れに支配されて、自分を守ることしか考えられないんです。
自己可能会遭遇危险,被这种恐惧笼罩,只考虑保全自己。
これは私たちも心したいですね。
我们也会想这样吧。
恐れに支配されて、自分を守ることしか考えなくなると、もう、キリストのところに行くことはできないんです。
如果被恐惧支配,只考虑保全自己的话,就不能到基督那里去。
ヘロデも、議員たちも、町の人たちも、みんなそうだったんですね。
希律王也好,祭司文士也好,城里的人们也好,大家都是如此。
それに対して、占星術の学者たちはイエス様に向かっていきます。
而相反的,占星家们却去了耶稣那里。
神の民であるユダヤ人が恐れにとらわれて何もできないでいるんですが、外国の、それも占星術の学者が、イエス様に向かって進んでいくんですね。
神的子民犹太人因恐惧什么都做不了,而国外的占星家们却向耶稣去。
これは大変なことです。
这是是很了不起的事情。
何しろ、学者といいましても、ここに書かれている学者という言葉は原文では「マギ」という言葉でして、魔術師を意味する言葉なんです。
说是学者,这里的学者在原文中用的是マギ这个词,是魔术师的意思。
神の民が自分のことしか考えていないのに、魔術師がイエス様のところに行こうとしているんです。
神的子民只考虑自己,而魔术师却想到耶稣那里去。
そこに、再び星が現れます。
在那里星星再次出现,
「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」んですね。
他们看到那颗星就大大欢喜,
喜びなんです。
大大欢喜。
イエス様に向かう時には、喜びがあると聖書は言っているんです。
圣经上说转向耶稣就有喜乐。
イスラエルの人々は恐れですね。
以色列人却是恐惧,
自分を守ろうとする時には、人は恐れに支配される。
想要保全自己的时候就被恐惧支配了。
けれども、この魔術師たちは救い主に会えるという喜びにあふれているんです。
而魔术师们见到救世主就大大欢喜。
幼子キリストに出会った学者たちは、ささげものをします。
见到基幼子基督的那些人献上礼物。
「黄金、乳香、没薬」ですね。
黄金、乳香、没药。
どれも高価なものですが、じつはこれらは占星術の道具だったとも言われています。
虽然都是高价的东西,事实上据说这些是他们的道具。
つまり、この人たちは、自分の一番大事なものをささげたんです。
也就是说,这些人把自己最重要的东西献上了。
自分自身をささげたんです。
把自己献上了。
学者たちは帰っていきます。
他们回去了,
しかし、その道は、来た時とは別の道なんですね。
可是回去的路和来时的路不一样。
これはもしかすると自分を危険にさらすことかもしれません。
这样做有可能会遭遇到危险。
何しろ、ヘロデから、「見つかったら知らせてくれ」と言われているんですから。
因为希律王说找到的话来报信。
しかし、学者たちはもう、同じ道は歩まないんです。
可是他们没有走同一条路。
考えてみると、占星術というのは、星の動きによって、普通には知ることができないいろいろなことを知ろうとすることですよね。
细想的话,所谓占星师是根据星云变幻,知晓一些一般人无法知晓的事情。
それは、要するに、自分を守ろうとしていたということです。
也就是说,是为了要保全自己而作这些事。
星の動きから情報を得て、自分を守ろうとする、それを仕事にしていた人たちです。
根据星云变幻获得情报,保全自己,是做这样事情的人。
けれども、この人たちはもう、「黄金、乳香、没薬」をささげてしまいました。
然而,这些人献上了黄金、乳香、没药。
救い主に全てささげたんですね。
全部献给了救世主。
そして、別の道を通っていくんですね。
然后,走了其它的路。
彼らはその道を、恐れながら歩いたでしょうか。
他们是惊恐着走这条路的吗?
そうではないでしょうね。
并不是
救い主が自分を守ってくださる。
救世主会保守自己。
その思いで、喜びにあふれて歩いて行ったはずです。
应该是这样想的,所以欢欢喜喜地走。
救い主に自分をささげる時にこそ、不安を抜け出せるんですね。
正是在把自己献上的那一刻,内心的不安就去除了。
自分の力も、占星術の知識も、本当の意味で自分を守ってくれるものではない。
自己的力量,占卜的知识,都不是真正意义上可以保全自己的东西。
本当に守ってくれるのは救い主だ。 聖書はそう言うんですね。
圣经上说真正守护我们的是救世主。
私たちを恐れから救い出してくれるのは救い主キリストだ。
把我们从恐惧中救出来的是救世主耶稣基督。
これは神のメッセージなんです。
这是从神而来的信息。
何しろ、この場面での星の動きですよ。
就是星云变幻这部分。
9節で再び現れたと書かれていますけれども、東の国では見えていたわけですよね。
第9节写着星星再次出现,因为在东方也看到了。
星が消えたり現れたりしているんです。
星星忽明忽暗,
そして、星が道案内をしてくれて、幼子キリストの家で止まったんですね。
指引着前进的道路,停在了基督的家门口。
星が動いたり止まったりしているんです。
星星时而动时而停。
そんな星はありません。
这样的星星是没有的,
神は言っているんですね。
神说:
救い主の前に進み出なさい。
去到救世主那里
そうすれば、恐れはなくなる。
如此便不再有恐惧。
この占星術の学者たちに学びたいですね。
希望可以向占星师他们学习
この人たちは星の専門家ですよ。
这些人是星术专家,
だとしたら、星がこんな動きをしたら、普通は不安になりますよね。
星星如此动的话,一般会变得不安。
自分の常識がまったくひっくり返されるような出来事なんですから。
因为和自己了解的常识完全相反。
けれどもここで、占星術の学者たちは、自分を捨てて、神のメッセージを受け入れたんですね。
然而占星师们,摈弃自己,接受了神的信息。
そこに、喜びがあふれてくるんです。
在那里大大欢喜。
私たちも、ならいたいですね。
我们也希望这样吧,
私たちも、自分の「黄金、乳香、没薬」を主にささげたいと思います。
也想把自己的黄金、乳香、没药献给主。
自分を守るためのものを捨てたいんですね。
舍弃能保全自己的东西。
捨てると言いますか、それをキリストにささげたいですね。
说是舍弃,其实是将这些献给基督。
そして、救い主に守っていただきたいですね。
然后渴求救世主来保守。
私たちそれぞれに、自分の心に聞いてみたいですね。
我们各自都想听听自己的心声吧,
何が自分の「黄金、乳香、没薬」でしょうか。
什么是我们的黄金、乳香、没药?
私たちみんな、きっと、何かそういうものを持っていると思うんです。
我们大家肯定都拥有这些东西,
それを差し出したいですね。
想要交出来吧
何しろ、今、私たちは、礼拝をしているじゃないですか。
现在我们不是正在敬拜吗?
救い主イエス様を礼拝しているんですね。
敬拜救世主耶稣。
私たちは、イエス様を礼拝した占星術の学者と同じところにいるんです。
我们和敬拜耶稣的占星师们在同样的地方,
「黄金、乳香、没薬」をささげましょう。
把黄金、乳香、没药献上吧。
そして、別の道を通って帰りましょう。
然后从别的路回去,
もう、ヘロデの元には戻らない。
不要再回到希律王那里
ヘロデに従わず、イエス様に従う道を行きましょう。
不要再跟随希律王,走跟随耶稣的路吧
恐れに従わず、喜びにあふれる道です。
那是没有恐惧追随,充满喜乐的路。
新しい道、イエス様に守っていただく道を歩んでいきましょう。
一起走新的路,走有耶稣保守的路吧!