
祝福
ルカによる福音書1章39節から45節
39そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。40そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。41マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、42声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。43わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。44あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。45主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
先週、クリスマスの飾りつけをいたしましたけれども、今日からクリスマスを待ち望むシーズンに入ります。
アドベントですね。
日本語で「待降節」とも言われます。
教会ではクリスマスを4週間かけて待ち望みます。
その4週間目がクリスマス礼拝の当日になります。
アドベントと聞きましても、あまり聞いたことがないかもしれませんが、「到来」という意味でして、このアドベントという言葉は完了形なんです。
キリストはもうすでにこの世にいらした。
その日がまた今年もめぐってくるのを待ち望むんですね。
ちなみにこのアドベント、これは完了形なんですが、これが未来形になるとアドベンチャーという言葉になります。
冒険ですよね。
イエス様は冒険して、この世に来てくださった。
まさに冒険ですよ。
神様の元におられたのに、この世に下ってくるんですから。
大冒険もいいところですよね。
今日の話は、その大冒険に当たっての、イエスの母マリアの物語です。
この冒険は、マリアにとっても冒険でした。
大変な大冒険でした。
ですから今日、マリアが親せきのエリサベトをたずねるんですが、マリアは「急いで」行くんですね。
どうしてかと言いますと、今日の場面のすぐ前の場面で、マリアは天使からお告げをいただいていたんですね。
マリアがイエス様を生むということです。
まだ結婚していないのにです。
もしそんなことになったら大変なことですよ。
そんなことがあったので、マリアとしてはじっとしていられません。
エリサベトに急いで会いに行くんです。
どうしてエリサベトに会いに行く必要があるんでしょうか。
天使のお告げの中に、こういう言葉がありました。
36節です。
「あなたの親類のエリサベトも、年を取っているが、男の子を身ごもっている」。
どうやらエリサベトは子どもを生むような年ではなかったらしいですね。
それなのに身ごもっているんだよと天使は教えてくれました。
だからマリア、あなたも男の子を生むよ、ということなんですね。
つまりエリサベトは天使が与えてくれたしるしです。
天使の言葉を信じることができるように、証拠を出してくれたわけです。
だから、急いでエリサベトのところに行くんですね。
しかし、改めて考えてみますと不思議な話です。
マリアは神の力によってイエス様を生むんですよね。
まだ結婚していないのに子どもが生まれるというのはありえないことです。
それはつまりは、神様のなさることです。
だったら、神様は天使をマリアの所に行かせて、「あなたがイエス様を生む」なんて伝えたりしなくてもいいのではないかと思うんですね。
どのみち、神の力でやることなんですから、前もって人間に断りを入れておく必要はありません。
どうしてわざわざマリアに予告したのでしょうか。
ここに、神様がどういう方なのかということが良く表れています。
神様は、人と一緒に働く方なんですね。
聖書のどのページを読んでも、神が一方的に人を動かしたなんていう話はありません。
もちろん、神様は前もって人に言っておかなければ働くことができないわけではありません。
ただ、神様は、人と一緒に働くということを大事になさる方なんですね。
神様は何の断りもなく一方的に何かをすることもできます。
しかしそれは神様のやり方ではないんですね。
神様は人と心を合わせてやっていきたいと願っておられるんです。
だから、前もって話をするし、この時にはマリアが信じることができるように証拠も出してくれたんです。
しかし、大事なことは、マリアは、証拠をこの目で見たから信じたのではないということですね。
すでに38節で、マリアは、「お言葉どおり、この身に成りますように」と言っています。
別に天使が無理やり信じさせたのではありません。
マリアが信じたんです。
信じた上で、エリサベトのところに行くんですね。
年を取っているのに神の力が働いて子どもを生むということは、エリサベトも何か神様から聞いていることがあるかもしれません。
マリアとしては、エリサベトのお腹が大きくなっているかどうかを確かめたいのではありません。
エリサベトの話を聞きたいんです。
それで、急いで行くんですね。
ここに、学ばされることがありますね。
私たちは時々、「時間ができたら行きます」と答えることがあります。
「行けたら行きます」と答えることがあります。
そうなりますと、たいていは行かないんですね。
そうではなくて、「急いで行く」ということ。
「急いで行く」ということは、それを第一にするということです。
神様の言葉を第一にする。
普通には考えられないことだけれども、神様が私の背中を押してくれていると感じた時に、すぐに行動に移すということ。
これがクリスマスの一つのポイントなんでしょうね。
少し後の場面になりますが、2章16節で、キリストの誕生を知らされた羊飼いたちも、急いで行ったんですね。
すぐに行動に移したんです。
すぐに行動に移すということだけだったら得意な人もいるかもしれないですね。
ただこの場合は、ありえないこと、普通には考えられないことが言われているんです。
ここに神様からのメッセージがあります。
普通には考えられないことでも、背中を押されていると思う時には、すぐに行動しなさい。
そういうことですね。
しかし、どうしてそんなことが言われるのでしょうか。
私たちは、普通には考えられないことだと、時間ができたらやります、できそうだったらやります、と答えてしまうんですね。
でも、普通には考えられないことを受け入れることはとても大事です。
何しろ、神様は私たちの常識には収まらない方ですから。
と言うか、私たちの常識に収まるんだったら神様ではないですね。
だから、私たちが神様と心を一つにするためには、自分の考えをいったん横に置いて、神の側につくことが大事です。
神様からすると、私たちは自分の考えにこだわりすぎなんでしょうね。
マリアも、34節で、「どうして、そのようなことがありえましょうか」と、いったんは答えているんですね。
でもそこで、信じられるように、しるしが与えられます。
そして、考えが変えられるんです。
神様は私たちの考えを変えてくださる方なんですね。
だから、もし私たちが、これは神様が私の考えを変えようとしておられるんだなと思ったら、その時、思い切って自分の考えを退けて神の側につくこと、それがとても大事なんだと思います。
そして、そうする時には、エリサベトと会ったマリアは、どんな言葉をエリサベトから聞いたでしょうか。
祝福の言葉です。
これ、神様がマリアを祝福しておられるんですよね。
エリサベトの言葉ですが、41節に、「エリサベトは聖霊に満たされて」、そう言ったんでした。
神の祝福です。
もし、私たちが自分を退けて神の側につくなら、私たちも同じ祝福をいただくことになるんですね。
そして、言葉だけでなく、考えもしないような祝福を実現してくださるんです。
ここで、マリアは何を祝福されているでしょうか。
45節に「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた」ことが「幸い」だと言われています。
マリアは、神の言葉が必ず実現すると信じました。
それこそが幸いということなんですね。
神の言葉は実現します。
それが聖書の語る信仰です。
しかし、それを信じることが私たちにとって難しいんですね。
神の言葉よりも人の言葉が気になることがあります。
人の言葉よりも自分の言葉が第一になってしまうのが私たちです。
しかし、そこで神の言葉を信じることができるかどうか。
信じると言うか、受け入れることができるかどうか。
幸いはそこにかかってくるんですね。
そしてこの、今日の物語ですが、これを、マリアだけのことだと思わないで欲しいですね。
聖書の言葉は神の言葉です。
その言葉を、私たちは聞いたんです。
ですから、今日の言葉は私たちにも実現します。
私たちは、マリアは特別な人で、自分は何も特別な人間ではないと思うかもしれません。
私たちは生まれてから今まで、周りの人たちからそう思わされてきましたから、そういうふうに考えてしまいます。
でも、マリアも普通の女の子なんです。
どこにでもいる、他の子と何の違いもない女の子です。
今で言う、中学生くらいの年の子どもです。
マリアが選ばれて、皆さんが選ばれないなんていうことはないんです。
マリアが選ばれたということは、誰でも選ばれるということです。
もし、今日聞いた神の言葉を退けないなら、私たちにも、信じられないような祝福の出来事が起こります。
神様は今日も、神様と共に働く人を求めています。
だから今日、私たちはこの御言葉を聞いたんです。
神様は今日も、私たちが考えもしないような大きな祝福を私たちに用意しておられます。
だから今日、私たちはこの御言葉を聞いたんです。
今すぐに、ご自分の考えを退けてください。
神の側に立ってください。
今日、この御言葉が実現します。
祝福
祝福
ルカによる福音書1章39節から45節
路加福音1章39—45节
39そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。40そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。41マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、42声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。43わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。44あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。45主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
那时候玛利亚起身,急忙往山地里去,来到犹大的一座城。进了撒加利亚的家,问伊利莎白安。伊利莎白一听玛利亚问安,所怀的胎就在腹里跳动,伊丽萨白且被圣灵充满,高声喊着说:“你在妇女中是有福的,你所怀的胎也是有福的,我主的母到我这里来,这是从哪里得的呢?因为你问安的声音一入我耳,我腹里的胎就欢喜跳动。这相信的女子是有福的,因为主对她所说的话都要应验。”
先週、クリスマスの飾りつけをいたしましたけれども、今日からクリスマスを待ち望むシーズンに入ります。
上周进行了圣诞节的布置,今天开始进入迎接圣诞的节期。
アドベントですね。
叫做基督降临节。
日本語で「待降節」とも言われます。
日语也称“待降节”。
教会ではクリスマスを4週間かけて待ち望みます。
教会要用四个礼拜来迎接圣诞。
その4週間目がクリスマス礼拝の当日になります。
第四周正好是圣诞礼拜当天。
アドベントと聞きましても、あまり聞いたことがないかもしれませんが、「到来」という意味でして、このアドベントという言葉は完了形なんです。
advent,或许以前没怎么听到过,是“到来”的意思,这词是个完成时。
キリストはもうすでにこの世にいらした。
基督已经在这世上了。
その日がまた今年もめぐってくるのを待ち望むんですね。
期盼今年这一天也能到来。
ちなみにこのアドベント、これは完了形なんですが、これが未来形になるとアドベンチャーという言葉になります。
顺便说一下,advent是完成时,他的将来时是adventure这个词。
冒険ですよね。
是冒险的意思。
イエス様は冒険して、この世に来てくださった。
耶稣冒险来到这世上。
まさに冒険ですよ。
真的是冒险。
神様の元におられたのに、この世に下ってくるんですから。
因为原本在神那里,却降临到这世上。
大冒険もいいところですよね。
是个大冒险的好地方。
今日の話は、その大冒険に当たっての、イエスの母マリアの物語です。
今天要说的就是那位大冒险的耶稣他母亲玛利亚的故事。
この冒険は、マリアにとっても冒険でした。
这冒险对玛利亚来说也一样是冒险。
大変な大冒険でした。
是非常大的冒险。
ですから今日、マリアが親せきのエリサベトをたずねるんですが、マリアは「急いで」行くんですね。
因此,今天玛利亚去看望亲戚伊利莎白,她是急急忙忙去的。
どうしてかと言いますと、今日の場面のすぐ前の場面で、マリアは天使からお告げをいただいていたんですね。
要说原因,今天经文的前面,玛利亚从天使那里得到信息说:
マリアがイエス様を生むということです。
玛利亚要生下耶稣。
まだ結婚していないのにです。
她明明还没有结婚。
もしそんなことになったら大変なことですよ。
如果这样的话会是不得了的事情。
そんなことがあったので、マリアとしてはじっとしていられません。
居然有这种事,玛利亚愣住了。
エリサベトに急いで会いに行くんです。
急忙去见伊利莎白。
どうしてエリサベトに会いに行く必要があるんでしょうか。
为什么必须要去见伊利莎白呢?
天使のお告げの中に、こういう言葉がありました。
天使所传达的话里有这样的话。
36節です。
在36节。
「あなたの親類のエリサベトも、年を取っているが、男の子を身ごもっている」。
“你的亲戚伊利莎白,在年老的时候怀了男胎。”
どうやらエリサベトは子どもを生むような年ではなかったらしいですね。
伊利莎白多半已经不是能生孩子的年纪了。
それなのに身ごもっているんだよと天使は教えてくれました。
天使却告知玛利亚伊利莎白怀孕了。
だからマリア、あなたも男の子を生むよ、ということなんですね。
所以说玛利亚你也要生男孩子,天使是这个意思。
つまりエリサベトは天使が与えてくれたしるしです。
总之伊利莎白是天使所预备的见证。
天使の言葉を信じることができるように、証拠を出してくれたわけです。
为了让玛利亚信天使的话,拿出了证据。
だから、急いでエリサベトのところに行くんですね。
因此,玛利亚急忙去了伊利莎白那里。
しかし、改めて考えてみますと不思議な話です。
可是,好好想一想的话太不可思议了。
マリアは神の力によってイエス様を生むんですよね。
玛利亚因神的大能生下了耶稣。
まだ結婚していないのに子どもが生まれるというのはありえないことです。
还没结婚就生孩子是不可能的事情。
それはつまりは、神様のなさることです。
总之这是神的作为。
だったら、神様は天使をマリアの所に行かせて、「あなたがイエス様を生む」なんて伝えたりしなくてもいいのではないかと思うんですね。
要这样的话,我觉得神让天使去到玛利亚那里,传话说“你要生下耶稣”这些不做也完全可以。
どのみち、神の力でやることなんですから、前もって人間に断りを入れておく必要はありません。
因为不管什么只要是神要做的,没必要事先和人打招呼。
どうしてわざわざマリアに予告したのでしょうか。
为什么特地要去告知玛利亚呢?
ここに、神様がどういう方なのかということが良く表れています。
在这里,很好地表现了神是怎样的一位神。
神様は、人と一緒に働く方なんですね。
神与人同工。
聖書のどのページを読んでも、神が一方的に人を動かしたなんていう話はありません。
不管读哪一张圣经,都没有神单方面做工予人的内容。
もちろん、神様は前もって人に言っておかなければ働くことができないわけではありません。
当然不是说神不事先和人打招呼就没办法做工。
ただ、神様は、人と一緒に働くということを大事になさる方なんですね。
只是神重视与人同工。
神様は何の断りもなく一方的に何かをすることもできます。
神可以不打任何招呼单方面行事。
しかしそれは神様のやり方ではないんですね。
但这不是神的做法。
神様は人と心を合わせてやっていきたいと願っておられるんです。
神希望与人同心一起完成。
だから、前もって話をするし、この時にはマリアが信じることができるように証拠も出してくれたんです。
所以,事先打好招呼,为了让玛利亚相信连证据都拿了出来。
しかし、大事なことは、マリアは、証拠をこの目で見たから信じたのではないということですね。
可是,重要的是,玛利亚不是亲眼所见之后才相信的。
すでに38節で、マリアは、「お言葉どおり、この身に成りますように」と言っています。
早在38节,玛利亚就说了“情愿照你的话成就在我身上。”
別に天使が無理やり信じさせたのではありません。
并不是天使硬要她相信的。
マリアが信じたんです。
是玛利亚自己信的。
信じた上で、エリサベトのところに行くんですね。
信了之后才去了伊利莎白那里。
年を取っているのに神の力が働いて子どもを生むということは、エリサベトも何か神様から聞いていることがあるかもしれません。
伊利莎白或许也从神那里听到些什么,她虽然上了年纪,但神的大能可以让她生孩子。
マリアとしては、エリサベトのお腹が大きくなっているかどうかを確かめたいのではありません。
玛利亚并不是去确认伊利莎白的肚子是否变大了。
エリサベトの話を聞きたいんです。
而是想听听伊利莎白怎么说。
それで、急いで行くんですね。
所以急忙去了。
ここに、学ばされることがありますね。
这里有我们该学习的。
私たちは時々、「時間ができたら行きます」と答えることがあります。
我们经常回答说“有时间的话就去”。
「行けたら行きます」と答えることがあります。
也会回答说“能去的话就去”。
そうなりますと、たいていは行かないんですね。
这样的话一般都不会去。
そうではなくて、「急いで行く」ということ。
并非如此,而是“急忙去了”。
「急いで行く」ということは、それを第一にするということです。
“急忙去”就是说把这放在第一位。
神様の言葉を第一にする。
把神的话放在第一位。
普通には考えられないことだけれども、神様が私の背中を押してくれていると感じた時に、すぐに行動に移すということ。
虽然正常思维无法想象的事情,但是感觉到神在背后推我的时候,立即采取行动。
これがクリスマスの一つのポイントなんでしょうね。
这是圣诞的一个要点。
少し後の場面になりますが、2章16節で、キリストの誕生を知らされた羊飼いたちも、急いで行ったんですね。
稍微后面一点的内容,2章16节,被告知基督诞生的牧羊人也是急忙去了。
すぐに行動に移したんです。
立即采取行动。
すぐに行動に移すということだけだったら得意な人もいるかもしれないですね。
单纯立即行动的话或许有人做得到。
ただこの場合は、ありえないこと、普通には考えられないことが言われているんです。
只是这里说到了不可能的事情,正常情况无法想象的事情。
ここに神様からのメッセージがあります。
这里有神的信息。
普通には考えられないことでも、背中を押されていると思う時には、すぐに行動しなさい。
即使正常思维无法想象,但是感到神在背后推的时候要立即采取行动。
そういうことですね。
是这个意思。
しかし、どうしてそんなことが言われるのでしょうか。
可是为什么要说这样的事呢?
私たちは、普通には考えられないことだと、時間ができたらやります、できそうだったらやります、と答えてしまうんですね。
如果是正常思维无法想象的事情,我们会回答说如果时间允许的话会去做,看上去可以的话会去做。
でも、普通には考えられないことを受け入れることはとても大事です。
但是,接受正常无法想象的事情非常重要。
何しろ、神様は私たちの常識には収まらない方ですから。
因为,神不是我们的常识可以认同的那一位。
と言うか、私たちの常識に収まるんだったら神様ではないですね。
也就是说,我们的常识所能认同的话就不是神了。
だから、私たちが神様と心を一つにするためには、自分の考えをいったん横に置いて、神の側につくことが大事です。
因此,我们要想与神同心的话,先把自己的想法放一放,向神靠近才是关键。
神様からすると、私たちは自分の考えにこだわりすぎなんでしょうね。
在神看来,我们太过拘泥于自己的想法。
マリアも、34節で、「どうして、そのようなことがありえましょうか」と、いったんは答えているんですね。
玛利亚也是,34节中,“怎么有这事呢?”一度曾这么回答。
でもそこで、信じられるように、しるしが与えられます。
然而这里为了让她相信,给出了证据。
そして、考えが変えられるんです。
于是想法改变了。
神様は私たちの考えを変えてくださる方なんですね。
神让我们的想法改变。
だから、もし私たちが、これは神様が私の考えを変えようとしておられるんだなと思ったら、その時、思い切って自分の考えを退けて神の側につくこと、それがとても大事なんだと思います。
因此,如果我们想着神在改变我们的想法,这个时候下决心放弃自己的想法去到神那里,我觉得这非常重要。
そして、そうする時には、エリサベトと会ったマリアは、どんな言葉をエリサベトから聞いたでしょうか。
当时玛利亚和伊利莎白见面之后,从伊利莎白那里听到了怎样的话呢?
祝福の言葉です。
是祝福的话。
これ、神様がマリアを祝福しておられるんですよね。
这是神对玛利亚的祝福。
エリサベトの言葉ですが、41節に、「エリサベトは聖霊に満たされて」、そう言ったんでした。
虽然是伊利莎白的话,但是41节说“伊利莎白被圣灵充满”。
神の祝福です。
是神的祝福。
もし、私たちが自分を退けて神の側につくなら、私たちも同じ祝福をいただくことになるんですね。
如果我们放下自己来到神的身旁,我们也会同样得到神的祝福。
そして、言葉だけでなく、考えもしないような祝福を実現してくださるんです。
不仅是话语,会有意想不到的祝福应验。
ここで、マリアは何を祝福されているでしょうか。
在这里玛利亚得到了什么祝福呢?
45節に「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた」ことが「幸い」だと言われています。
45节说“相信主所说的话都要应验”是有福的。
マリアは、神の言葉が必ず実現すると信じました。
玛利亚相信神的话必应验。
それこそが幸いということなんですね。
正因为如此所以是有福的。
神の言葉は実現します。
神的话要应验。
それが聖書の語る信仰です。
这是圣经中讲述的信仰。
しかし、それを信じることが私たちにとって難しいんですね。
可是,对我们来说相信这很难。
神の言葉よりも人の言葉が気になることがあります。
比起神的话,我们更在意他人的话。
人の言葉よりも自分の言葉が第一になってしまうのが私たちです。
比起他人的话,我们自己的话才是第一位的,这就是我们。
しかし、そこで神の言葉を信じることができるかどうか。
可是,在这里能否相信神的话。
信じると言うか、受け入れることができるかどうか。
相信也就是接受。
幸いはそこにかかってくるんですね。
福气就会临到。
そしてこの、今日の物語ですが、これを、マリアだけのことだと思わないで欲しいですね。
而今天的这个故事,希望大家不要只认为是玛利亚的事。
聖書の言葉は神の言葉です。
圣经的话语就是神的话语。
その言葉を、私たちは聞いたんです。
我们大家都听。
ですから、今日の言葉は私たちにも実現します。
因此,今天的话语也应验在我们身上。
私たちは、マリアは特別な人で、自分は何も特別な人間ではないと思うかもしれません。
或许我们会想,玛利亚是特殊的,我们不是什么特别的人。
私たちは生まれてから今まで、周りの人たちからそう思わされてきましたから、そういうふうに考えてしまいます。
因为我们从出生到现在,周围的人都是这么认为的,所以我们也这么想。
でも、マリアも普通の女の子なんです。
但是,玛利亚也是个普通的女子。
どこにでもいる、他の子と何の違いもない女の子です。
是随处可见的,和其他孩子没任何区别的女子。
今で言う、中学生くらいの年の子どもです。
按现在来说的话,差不多是中学生的年纪。
マリアが選ばれて、皆さんが選ばれないなんていうことはないんです。
不是说玛利亚被拣选,大家没有被拣选。
マリアが選ばれたということは、誰でも選ばれるということです。
玛利亚能被拣选就说明谁都能被拣选。
もし、今日聞いた神の言葉を退けないなら、私たちにも、信じられないような祝福の出来事が起こります。
如果,我们不拒绝接受今天所听的内容的话,我们也会得到难以置信的祝福。
神様は今日も、神様と共に働く人を求めています。
神今天也在呼求与他同工的人。
だから今日、私たちはこの御言葉を聞いたんです。
因此今天我们聆听了他的话语。
神様は今日も、私たちが考えもしないような大きな祝福を私たちに用意しておられます。
神今天也为我们预备了意想不到的大大的祝福。
だから今日、私たちはこの御言葉を聞いたんです。
因此今天我们聆听了他的话语。
今すぐに、ご自分の考えを退けてください。
请大家现在立即放下自己的心思意念。
神の側に立ってください。
站到神那里去。
今日、この御言葉が実現します。
今天这话语要应验。