今週の説教「天に富を積む」(新約聖書・マタイによる福音書6章19-21節)

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☞インターネット百科事典「ウィキペディア」による本作品の紹介記事

マタイによる福音書619-21

 

19「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。20富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。21あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」

 

 

 

 

 

富とは何か。

 

お金ということか。

 

それによって生きていくことができるような……。

 

富がもっと豊かにあれば、もっと豊かに生きていける。

 

そう思うからこそ、私たちは富を積む、ということに熱心になる。

 

 

 

イエス様は単に、「富」の話をしているのではない。

 

「富を積む」という話をしている。

 

私たちがあんまりそのことに熱心だから。

 

 

 

そして、イエス様は、「富を積むのはやめろ」とは言わない。

 

私たちが富を積むのはやめられない。

 

そのことをイエス様はご存知である。

 

私たちの、もっと欲しい、もっと欲しいという気持ちはなくならない。

 

だからイエス様は、どこに富を積むか、ということを語る。

 

 

 

まず、どこに積んではいけないか。

 

「地上に富を積んではならない」。

 

地上に富を積むというのはどういうことか。

 

「虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする」ということなので、お金を持っていること、あるいは、金や宝石というかたちで持っていることか。

 

いずれにしても、自分で持っていることであろう。

 

財布の中に、家の中に。

 

「虫が食ったり、さび付いたり」ということはあまりないかもしれない。

 

現代の私たちはふつう、お金は銀行に預ける。

 

金や宝石も銀行の金庫に預けるだろう。

 

しかし、地上に富を積んでも駄目になることがあるということは現代も同じである。

 

 

 

まず、お金の価値は変わる。

 

戦前は、「昔は1,000円あれば家が建った」。

 

また、75年前に外地(日本が支配していた海外の地域)にいて、会社を経営していて、100万円くらいのお金を持っていた人は、日本が戦争に負けて、手ぶらで帰ってこなければならなかった。

 

地上に富を積むとそういうことがある。

 

あるご年配の方は「自分の人生の中で、3回くらい、お金が紙切れになった」と言った。

 

地上に富を積んでも駄目になることがある。

 

現代では、銀行がつぶれることがある。

 

これは逆に、昔の日本ではなかったこと。

 

地上の富を信頼しきっていては危ない。

 

 

 

「富は、天に積みなさい」。

 

天に富を積んだら、それはダメにならないという。

 

しかし、私たちはどうすれば富を天に積めるのか。

 

地上のお金や金や宝石を天にそのまま持っていくことはできない。

 

しかし、最後のところで、「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」と言われている。

 

私たちが私たちの持っている富を天に富を積むことができるということである。

 

どうすれば私たちの富を天に積むことができるだろうか。

 

 

 

ここで大事なことは、富を「天に」積む、と言われていること。

 

地上に富を積むのなら、自分の手元に富を置いておける。

 

お金だって、銀行の通帳だって、自分の手元に置いておける。

 

しかし、天に積むのなら、もう、自分の手元には置いておけない。

 

天に富を積んだら、ダメになってしまったり、盗まれてしまったりすることはないけれども、自分の手元にはない。

 

つまり、神様に預ける、ということ。

 

 

 

そして、それは必ずしも、教会で献金する、ということではないだろう。

 

教会で献金すると、そのお金は神様につかっていただくということになる。

 

しかしそれだと、もう自分のものではない。

 

神様のものになる。

 

しかし、今日の話では、自分の富は自分の富のままである。

 

最後のところで、「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」と言われている。

 

「あなたの富」のままなのである。

 

自分の手元にはないけれども、自分のものであることには変わりがない。

 

 

 

しかし、自分のものだけれども、自分の手元にはないというのはどういうことなのか。

 

普通、自分のものは自分の手元に置く。

 

そうしておけば、いつでも自由に使えるから。

 

手元になかったら使えない。

 

どうしてそんなふうにしておくのか。

 

それに頼ろうと思わない時だけ、私たちはそうすることができる。

 

頼ろうと思わないのなら、自分の手元になくても平気である。

 

手元にあったとしても、別に気にもしないだろう。

 

心がそこに向かわないということ。

 

大事なのはそれである。

 

私たちが心を奪われていないかどうか、ということ。

 

 

 

富を天に積む、というのは、お金に頼らない生き方をする、ということ。

 

私たちは、お金を積んでいい。

 

お金をたくさん手に入れていい。

 

でも、それを信頼してはいけない。

 

それはダメになることがある。

 

信頼しきれるようなものではない。

 

 

 

イエス様からすると、私たちはお金を信頼しすぎている。

 

そう言われてみるとそうかもしれない。

 

あるお金持ちは、インタビューされて、「人の心はお金で買える」と言った。

 

思わず反感を感じてしまう言葉である。

 

しかし、「人の心はお金で買える」と思っている人の周りには、お金をもらえるなら何でもする、という人が集まってくるだろう。

 

そうなるともう、そのお金持ちにとっては本当に、「人の心はお金で買える」というのは事実になる。

 

しかし、お金で買えるような「心」が欲しいのだろうか……。

 

その人はその後、法律に違反して刑務所に入った。

 

財産も賠償金として取られてしまった。

 

お金に頼るとそういうことにもなる。

 

お金に頼れば頼るほど、傷は大きくなる。

 

 

 

イエス様は、本当に信頼できる方に頼りなさい、と言っている。

 

「富を天に積みなさい」。

 

そして、「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」。

 

これは、お金よりも神様を信頼しなさい、ということ。

 

お金よりも神様は信頼できるよ、ということ。

 

 

 

お金を信頼しようとすると、お金に心を奪われてしまう。

 

盗まれないか。

 

価値が下がっていないか。

 

そのことに心を奪われてしまう。

 

信頼しようとしているのに、結局心配することになる。

 

ほとんどだまされているようなもの。

 

だからイエス様も、今日、二回も繰り返して、虫が食ったり、さび付いたり、盗まれたり、という話をしている。

 

いろいろと心配がある。

 

もちろん、お金は必要なもの。

 

しかし、必要だからと言って、信頼してはいけない。

 

 

 

この世の何かを信頼しようとするとき、私たちはいつも心配していなくてはならない。

 

しかし、神様はそうではない、とイエス様は言う。

 

この世界をおつくりになられた方。

 

この私をおつくりになられた方。

 

そして、すべてを御手の上に置いておられる方。

 

神様はすべて。

 

神様がすべて。

 

すべては神様の御心。

 

その御心の一つとして、今、この私がここにある。

 

何か心配することがあるだろうか。

 

生きていて辛いことはある。

 

しかし、心配することはない。

 

どうなるか分からないから心配する、ということは必要ではない。

 

そうイエス様は言っている。

 

神様は私たちを確かに支えてくださる。

 

そのことは間違いないのだ。

 

そういう約束をしてくださっているのである。

 

 

 

お金だけではない。

 

人間関係でもこの世の権力でも、自分の知恵でも力でも、完全に信頼できるものではない。

 

言ってみればそういうものも財産かもしれないが、どんなものも、無くなってしまったり価値が下がってしまうことはある。

 

だから私たちは、そういうものを信頼しようとする時、信頼しようとするからこそ、いつも心配しなくてはならない。

 

それに対してイエス様は言う。

 

無くならないもの、価値が下がらないものを信頼しなさい。

 

私たちが安心して生きることができるように。

 

 

 

私たちは安心できているだろうか。

 

心配なことはないだろうか。

 

心配なことがあるということは、神様ではなく他の何かに頼ろうとしているということ。

 

神様を信頼したい。

 

神様は必ず答えてくださる。

 

だから今、イエス様は、神様を信頼しなさい、と言っている。

 

心配なことがあったら、まず神様に祈ろう。

 

イエス様は今日、神様を信頼するなら心配はない、と約束をしてくださった。

 

だから、神様は必ず答えてくださる。