今週の説教「権威による奇跡」(新約聖書・マタイによる福音書8章5節から13節に基づく説教)

権威による奇跡

 

因权柄而行的神迹

 

新約聖書・マタイによる福音書85節から13節に基づく説教

 

  新约圣经马太福音85--13

 

5さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、6「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。7そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。8すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。9わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。10イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。11言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。12だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」13そして、百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。

 

  耶稣进了迦百农,有一个百夫长进前来,求他说:“主啊,我的仆人害瘫痪病,躺在家里甚是痛苦。”耶稣说:“我去医治他。”百夫长回答说:“主啊,你到我舍下,我不敢当;只要你说一句话,我的仆人就必好了。因为我在人的权下,也有兵在我以下,对这个说,‘去’,他就去;对那个说,‘来’,他就来;对我的仆人说,‘你作这事’,他就去作。”耶稣听见就希奇,对跟从的人说:“我实在告诉你们:这么大的信心,就是在以色列中,我也没有遇见过。我又告诉你们,从东到西,将有许多人来,在天国里与亚伯拉罕、以撒、雅各一同坐席;惟有本国的子民,竟被赶到外边黑暗里去,在那里必要哀哭切齿了。”耶稣对百夫长说:“你回去吧!照你的信心,给你成全了。”那时,他的仆人就好了。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

百人隊長とは何者なのか。

 

  百夫长是什么人呢?

 

軍人であって、百人の部下がいる。

 

  是军人,有一百名部下。

 

ただ、イスラエルの軍人ではなく、ローマ帝国の軍人なのである。

 

  但不是以色列的军人,是罗马帝国的军人。

 

外国の軍隊にイスラエルは支配されていた。

 

  以色列被外国军队管辖。

 

外国の軍隊がいつも自分たちの国の中にいる。

 

  外国军队一直待在自己的国家。

 

そうなると、あまりいい気分にはならない。

 

  这样的话,就不大爽了。

 

 

 

 

 

ただ、この時、外国から来たこの百人隊長は、自分からイエスに近づいた。

 

  但是,那个时候,国外来的百夫长,亲自来到耶稣那里。

 

自分のしもべ、自分の奴隷が病気で苦しんでいる。

 

  自己的部下,自己的奴隶得了病很痛苦。

 

イエス様、助けてください。

 

  请耶稣帮忙。

 

重い病気である。

 

  是很严重的病。

 

中風というのは、脳出血などによって起こる、半身不随や手足のまひなどの症状のこと。

 

  中风是由脑出血等引起的半身不遂或手脚麻痹等症状的疾病。

 

まして、助けを求めてイエス様のところまで来るということなら、症状は相当悪かっただろう。

 

  更何况来到耶稣那里求救的话,想必是相当严重的。

 

 

 

 

 

しかし、これは大変なことである。

 

  可是,这很不寻常啊。

 

ローマ帝国の人間が、イスラエル人に助けを求めている。

 

  罗马帝国的人向以色列人求救。

 

支配者が、支配されている側に助けを求めている。

 

  统治者向被统治者求助。

 

普通はそういうことは起こらない。

 

  一般不会发生这种事。

 

自分の立場というものを人間は重んじる。

 

  人都注重自己的立场。

 

そして皆、それに基づいて行動する。

 

  大家都根据这点行动。

 

それが常識と言うものであろう。

 

  这可以说是常识。

 

会社の中で、上司が部下に頭を下げるようなことがどれほどあるだろうか。

 

  公司里,上司给部下低头的情况能有多少呢?

 

学校の中で、先輩が後輩に頭を下げることがどれほどあるだろうか。

 

  学校里,前辈给后辈点头哈腰的又有多少呢?

 

そういうことが起こっている。

 

  发生了这样的事。

 

この百人隊長は常識を乗り越えた。

 

  这百夫长冲破了常规。

 

この百人隊長は、自分の立場にこだわらなかった。

 

  他没有局限于自己的立场。

 

この人の部下の中には、イエス様にお願いすることを良く思わない人もいただろう。

 

  这人的部下当中,应该会有人觉得拜托耶稣不好。

 

イスラエルの人たちも嫌な目で見たかもしれない。

 

  或许以色列人也用异样的眼光看他。

 

しかし、この人は自分のためではなく人のために、自分の立場を捨てた。

 

  可是,这人不是因为自己而是为了他人,放弃了自己的立场。

 

そして、その結果、百人隊長の奴隷は病気が治った。

 

  而结果,百夫长的奴隶,病治好了。

 

もしこの人が自分の立場にこだわる人だったらどうか。

 

  如果这人拘泥于自己的立场又会怎样呢?

 

おそらく、その病気は一生治らなかっただろう。

 

  恐怕那病一辈子都治不好吧。

 

 

 

 

 

私たちもここで問われている。

 

  在这里我们也同样被质问。

 

あなたも自分の立場にこだわっていないか。

 

  是否也局限于自己的立场。

 

自分の常識にこだわっていないか。

 

  拘泥于自己的认知。

 

私たちが自分のこだわりを捨てれば、私たちはもっと大きな恵みをいただけると、今日、聖書は私たちに語りかけている。

 

  今天的圣经内容在告诉我们:抛开局限,我们会得着更大的恩惠。

 

 

 

 

 

その意味で、この人の場合は自分の奴隷が倒れてしまったということだが、そのような、大変な出来事というのはチャンスかもしれない。

 

  就这点而言,那人的话自己的奴隶瘫痪这样严重的事可能就是个机会。

 

大変なことになればなるほど、私たちは自分の考えにこだわっていられなくなるから。

 

  因为越是严重的事情,我们越不能拘泥于自己的思维。

 

本当に心の底からイエス様に求めることができるのは、もうどうしようもないくらい大変な時だけかもしれない。

 

  真正能从内心深处祈求耶稣,那可能已经到束手无策这种地步的时候了。

 

だとしたら、大変な出来事というのは、心を神様に向けなさいという、神様からのメッセージかもしれない。

 

  那样的话,大麻烦或许就是一种来自于神的信号,让你的心转向神。

 

 

 

 

 

イエスはこの人に答えた。

 

  耶稣回答那人说:

 

「わたしが行って、いやしてあげよう」。

 

  “我去医治他。”

 

これでもう安心である。

 

  这样已经能安心了。

 

ありがとうございます、よろしくお願いします、と言うところだろう。

 

  该说太感谢了,拜托了。

 

しかし、百人隊長は言う。

 

  可是,百夫长说:

 

「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます」。

 

  “主啊,你到我舍下,我不敢当;只要你说一句话,我的仆人就好了。”

 

この人は、イエスの力を本気で信じている。

 

  这人是真的相信耶稣的大能。

 

本気で信じるというのはこういうことだろう。

 

  真信就该是如此,不是吗?

 

今までにもイエスが人をいやしたことはあった。

 

  目前为止耶稣也医治过人。

 

しかし、会ったこともない人をいやしたことはない。

 

  可是,没有医治过连面都没见过的人。

 

しかし、この人は、本気で、それができると信じている。

 

  可是,此人真心相信那是可行的。

 

イエスにはそれができると信じている。

 

  相信耶稣能做到。

 

この人は、イエスが病気を治せると知っていた。

 

  这人知道耶稣能治病。

 

それは、どこかで誰かから聞いていたのだろう。

 

  可能是从谁那里听来的吧。

 

病気の人に手を置いて治した、などと。

 

  手放在病人身上就得医治等等。

 

しかし、この人は、聞いていたこと以上のことを信じた。

 

  可是,那人对耶稣的信心超过他所听到的。

 

だから、「わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません」と言える。

 

  所以说“你到我舍下,我不敢当。

 

そして、「ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます」と言える。

 

  还说“只要你一句话,我的仆人就必好了。”

 

 

 

 

 

病気が治ったのはイエスの力であって、信仰の力ではない。

 

  病得医治是耶稣的大能,不是信仰的力量。

 

ただ、イエスは言っている。

 

  但是,耶稣说:

 

「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように」。

 

  “你回去吧,照你的信心给你成全了。”

 

「あなたが信じたとおりになるように」。

 

  “照你的信心给你成全了”。

 

「ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた」。

 

  “正在那个时候,仆人的病好了。

 

いやしたのはイエスである。

 

  治愈的是耶稣。

 

イエスが「あなたが信じたとおりになるように」と言ったから治った。

 

  耶稣说“照你的信心给你成全了之后,病就好了。

 

イエスの言葉の力である。

 

  是耶稣话语的大能。

 

ただ、イエスも、「あなたが信じたとおりになるように」と言った。

 

  不过耶稣也说,“照你的信心给你成全了”。

 

「病気よ、出ていけ」と言ったのではない。

 

  没有说“疾病消除”。

 

「病気が治れ」と言ったのではない。

 

  没有说“疾病得医治”。

 

信じたとおりになるのだ。

 

  照信心成全。

 

イエスの力ならできると信じたとおりになる。

 

  只要是耶稣的大能就可以做到,按照这种信心成全。

 

私たちが信じたことが、何が起こるのかを決める。

 

  由我们所相信的来决定接下来会发生的事。

 

イエスの力で出来事が起こるのだが、何が起こるのかは、私たちがどれくらい神の力を信じているかにかかっている。

 

  耶稣的大能行神迹奇事,会发生什么取决于我们有多相信神的大能。

 

大事なのは、イエスの力は完全だと本気で信じることができるかどうか。

 

  重要的是能否真心相信耶稣的大能是完全的。

 

その上で、言う。

 

  在这基础上,说:

 

「ひと言おっしゃってください」。

 

  “只要你说一句话”。

 

 

 

 

 

この人は、イエスの言葉には権威があると信じていた。

 

  那人相信耶稣的话是有权柄的。

 

この人は軍隊にいる人だから、言葉の権威というものが分かっている。

 

  因为他是军队的人,所以明白话语的权柄。

 

軍隊では、下の者は上の者に言われたとおりにする。

 

  在军队里,下面的人必须按上面人的指示行事。

 

返事は「Yes, sir」だけ。

 

  只能回答说“是,长官”。

 

No」という返事は軍隊にはない。

 

  “不”这种回答在军队中是不存在的。

 

この人は、言葉の権威ということを、もともと良く分かっていた。

 

  这人原先就非常清楚话语的权威。

 

現代は言葉に権威が無くなった時代かもしれない。

 

  现在或许话语的权柄消失了。

 

しかし、人の言葉に権威がなくても、神の子イエスの言葉には権威がある。

 

  但是,即使人的话语没有权柄,神子耶稣的话语是有权柄的。

 

神の子イエスの言葉はそのまま実現する。

 

  神子耶稣的话必按他所说的成就。

 

今日の出来事は私たちにそれを教えている。

 

  今天的神迹告诉了我们这点。

 

だから、私たちもこの人と同じように祈る。

 

  因此,我们也要和这人一样祷告。

 

「ひと言おっしゃってください」。

 

  “只要你说一句话”。

 

その答えは、「あなたが信じたとおりになるように」。

 

  回答是“照你的信心,给你成全了”。

 

 

 

 

 

救いはそこにかかっているとイエスは言う。

 

  耶稣说救赎就在这里。

 

11節で「天の国」の話をする。

 

  11节说到了“天国”。

 

「東や西から大勢の人が来て」とあるが、これは、たくさんの外国人が天国に入るということ。

 

  “从东从西,将有许多人来”,这是说会有很多的外国人进到天国。

 

しかし、12節には、「御国の子ら」は追い出される、とある。

 

  可是,12节写有“本国的子民”被赶出去。

 

これは、自分は当然天国に入ると思っていた人たち、イスラエルの人たちのことを指している。

 

  这是指认为自己理所当然能进天国的人,也就是以色列人。

 

イスラエルの人たちは、自分たちは聖書を与えられている、神の言葉を持っている、自分たちは特別だと考えていた。

 

  以色列人认为自己有圣经,有神的话语,是特殊的。

 

しかし、本当に大事なことは、その神の言葉の権威を心の底から信じているかどうかなのである。

 

  可是,真正重要的是,是否打心底里相信神话语的权威。

 

 

 

 

 

私たちは、自分は聖書の言葉、神の言葉を聞いているから、それだけで大丈夫だと思っていないだろうか。

 

  我们是不是觉得因为自己听圣经的话语,听神的话语,这就没问题了呢?

 

10節で、イエスは、今の話を、イエスに従っていた人たちに話した。

 

  10节,耶稣将这话说给跟从他的人。

 

イエスに従っていた人たちというのは、私たちも同じである。

 

  跟随耶稣的人就是和我们一样。

 

私たちも、同じ気持ちでこうして神の言葉を聞いている。

 

  我们也是以同样的心情聆听神的话语。

 

少なくとも、逆らうつもりならここには来ない。

 

  至少,打算忤逆的话是不会来的。

 

しかし、イエスは、その私たちに語りかける。

 

  可是,耶稣对这样的我们说。

 

あなたは、神の言葉の権威をどこまで信じているか、ということである。

 

  你们对神的话语信到什么程度呢?

 

そう言われると不安になる。

 

  被这样说会变得不安。

 

しかし、だからこそイエスは、従っていた人たちに話をしたのだろう。

 

  可是,正因为如此,才对跟随他的那些人说的吧。

 

 

 

 

 

ただ、私たちは信じられるようにされるのではないかと思う。

 

  不过,我想是为了让我们相信才说的吧。

 

「ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた」と書かれているが、誰もその場にいないのに、どのようにしてそれが分かったのか。

 

  经上写着“正好那时,仆人就好了”,谁都不在那里,是如何知道的呢?

 

もちろんイエスは分かっていただろう。

 

  耶稣自然是知道的。

 

しかし、「あなたが信じたとおりになるように」と言われただけでは、百人隊長も、今どうなっているか分からない。

 

  可是,只说“照你的信心给你成全了”,百夫长也不知道现在如何了。

 

百人隊長も、家に帰ってから分かったのである。

 

  百夫长也是回家以后才知道的。

 

そして、この百人隊長はその後どうしただろうか。

 

  而百夫长后来又是怎么做的呢?

 

もう一度、イエスのところへ行って、直接お礼を言ったのではないか。

 

 又一次去到耶稣那里,直接道谢了,不是吗?

 

そして、だからこそ、病気が治ったということを皆が知ることになって、その結果、「ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた」と書かれることになったのではないだろうか。

 

  正因为如此,大家才知道了病得医治,结果才会写“那时,他的仆人就好了”,不是吗?

 

 

 

 

 

同じように私たちも、信じられるようにされるのだ。

 

  同样的也是为了让我们相信才行的。

 

神の言葉の権威を、人を通して知らされるということがある。

 

  通过人让我们知道神话语的权柄。

 

そうなると、大事なことは、とにかくイエスに従っていくことである。

 

  总之,重要的是要跟从耶稣。

 

イエスの後についていくことである。

 

  追随耶稣。

 

イエスの後についていった人たちは、だからこそ、神の言葉の権威を知ることができたのである。

 

  正因为是追随耶稣的人,才能知晓神话语的权柄。

 

 

 

 

 

「ひと言おっしゃってください」と祈ってみていただきたい。

 

  希望大家祷告“只要你说一句话”。

 

自分の立場にこだわらずに、自分の常識にこだわらずに、自分の権威を捨てて、神の権威を信じて、祈ってみてほしい。

 

  不要拘泥于自己的立场,不要局限在自己的认知中,放下自己的权柄,相信神的权柄,希望大家这样祷告。

 

もしかすると、あなたが、神の言葉の権威を他の人に伝える人なのかもしれない。

 

有可能你就是传达神话语的权柄给他人的人。