朝の祈祷会でのメッセージ(新約聖書・ルカによる福音書2章49節より)

マリアとヨセフ、12歳の少年イエスは神殿に参った。

その帰り道、イエスの姿が見えない。

マリアとヨセフは我が子を探した。

しかし、丸一日探しても見つからない。

どうして見つからないのか?

「イエスがいない所を探していたから」である。

イエスはどこにいるのか?

「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。

「父の家」は原文では「父のものである出来事」という言葉である。

イエスは、御心の内にある。

もし、私たちがイエスを人間の考えで探し出そうとするなら見つからない。

むしろそれは、私たちが迷子になることである。

ただ、イエスは、迷子になった人々を探し出して救うために来られた……。