
(上の画像は、オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』のために、オーブリー・ビアズリーが描いたイラストレーション)
「洗礼者ヨハネの首を」
要施洗约翰的头
マタイによる福音書14章1節から12節
马太福音14章1-12节
1そのころ、領主ヘロデはイエスの評判を聞き、2家来たちにこう言った。「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」3実はヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。4ヨハネが、「あの女と結婚することは律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。5ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を恐れた。人々がヨハネを預言者と思っていたからである。6ところが、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が、皆の前で踊りをおどり、ヘロデを喜ばせた。7それで彼は娘に、「願うものは何でもやろう」と誓って約束した。8すると、娘は母親に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った。9王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、10人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。11その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った。12それから、ヨハネの弟子たちが来て、遺体を引き取って葬り、イエスのところに行って報告した。
那时,分封的王希律听见耶稣的名声,就对臣仆说:“这是施洗的约翰从死里复活,所以这些异能从他里面发出来。”起先希律为他兄弟腓力的妻子希罗底的缘故,把约翰拿住锁在监里。因为约翰曾对他说:“你娶这妇人是不合理的。”希律就想要杀他,只是怕百姓。因为他们以约翰为先知。到了希律的生日,希罗底的女儿在众人面前跳舞,使希律欢喜。希律就起誓,应许随她所求的给她。女儿被母亲所使,就说:“请把施洗约翰的头放在盘子里,拿来给我。”王便忧愁,但因他所起的誓,又因同席的人,就吩咐给她。于是打发人去,在监里斩了约翰,把头放在盘子里,拿来给了女子,女子拿去给她母亲。约翰的门徒来,把尸首领去埋葬了,就去告诉耶稣。
洗礼者ヨハネの最後。
施洗约翰生前最后的场景。
「悔い改めよ、天の国は近づいた」と言って、たくさんの人に洗礼を授けた。
他说“天国近了,你们应该悔改”,并给很多人施了洗。
罪を悔い改めさせて、罪を洗い清める洗礼を授けた。
让人悔改认罪,施洗以洗清罪孽。
そのヨハネが殺される場面。
此约翰被杀的场景。
ヨハネを殺したのは領主ヘロデ。
杀约翰的是希律王。
9節では「王」と言われているが、王ではない。
第九节说他是“王”,其实他不是王。
このヘロデという人の父は王だった。
他父亲是王。
イエスが生まれた時の王がヘロデ王。
耶稣出生时的王是希律王。
イスラエルを支配していたローマ帝国が、ヘロデが王だと認めた。
统治以色列的罗马帝国,承认希律为王。
そのヘロデ王には三人の息子がいた。
此希律王有三个儿子。
ヘロデ王が死んだ後、三人の息子はヘロデ王が支配していた土地を三つに分けた。
希律王死后,三个儿子把他统治下的国土一分为三。
その一人が、ここに登場している領主ヘロデ。
其中一人就是此处登场的领主希律。
息子たちは三人とも、ローマ帝国が王だと認めてくれなかった。
罗马帝国没有承认他们任何一人为王。
だから「領主」。
所以他们其实是“诸侯”。
このヘロデには大きな罪があった。
此希律犯了大罪。
自分の兄弟の妻を自分のものにした。
把兄弟的妻子占为己有。
しかもそのとき、ヘロデには奥さんがいた。
而且当时,希律是有妻子的。
その奥さんと離婚して、兄弟の妻と結婚した。
与妻子离婚,和兄弟的妻子结婚了。
それも、もともと結婚していた奥さんは近くの国の王女。
而且原来结婚的妻子是邻国的公主。
その人と離婚したので、その国と戦争になった。
因为离婚,引发了战争。
ヘロデは無茶なことをやる人。
希律是个胡作非为的人。
自分がしたいようにする人。
想怎样就怎样,是那样的人。
そういうこともあって、9節では「王」と呼ばれているのかもしれない。
可能就是因为这样,第9节才称为“王”吧。
ヨハネはヨハネで、「悔い改めよ、天の国は近づいた」という人。
约翰是说“天国近了,你们应当悔改”的那个人。
罪を見逃したりはしない。
他说罪不可恕。
罪を悔い改めよ。
你要悔改认罪。
あなたがしていることは罪だ。
你所做的事是罪恶的。
ヘロデはヨハネを捕まえた。
希律逮捕了约翰。
そして、殺そうと考えていた(5節)。
而且想杀他(第5节)。
しかし、人々はヨハネのことを預言者だと思っていた。
可是,百姓认为约翰是先知。
預言者とは、神の言葉を神から預かって、それを伝える人。
先知就是领受神的话语,将此传达的人。
そのヨハネを殺してしまうと、人々はヘロデを憎むようになる。
如果杀了这个约翰,百姓会恨希律的。
だから、殺したいけれども殺せない。
所以,虽然想杀却没有杀。
そして、人間の心は複雑。
人心就是这么复杂。
ヨハネを殺すことになった時、「王は心を痛めた」と9節にある。
杀约翰的时候,第9节写到“王便忧愁”。
殺したいと思いながらも、ヘロデも、ヨハネは預言者だと認めていたかもしれない。
虽然想杀,但是有可能希律也认定约翰是先知。
ヘロデは後になって、イエスの裁判をする時、喜んだ。
希律后来,审判耶稣的时候,很欢喜。
長い間ヘロデはイエスに会いたいと思い続けていたとルカによる福音書に書かれている。
路加福音写到,希律很长时间来,一直都想着要见耶稣。
そういう人でもあったので、ヨハネのことを許せないとは思っていても、こんなことで殺すことになってしまったと心を痛めたのだろうか。
即便是这样的人,即使不能原谅约翰,就这样杀了也会心痛吧。
実際、ヘロデが考えていなかったことが起こった。
实际上是发生了希律没料到的事。
ヘロデの誕生日のパーティーで、へロディアの娘が踊りを踊った。
在希律的生日派对上,希罗底的女儿跳了舞。
ヘロデの妻がへロディアだが、この娘はへロディアと前の夫との間に生まれた子ども。
希律的妻子希罗底,这女儿是希罗底和前夫所生的孩子。
聖書には名前は出てこないが、この娘はサロメという名前だったと伝えられている。
圣经上没有写她的名字,据传这女儿名叫莎乐美。
オスカー・ワイルドやリヒャルト・シュトラウスがこのサロメという名前をタイトルにして、今日の場面を演劇にしたりオペラにしたりしている。
奥斯卡・王尔德和理查德・施特劳斯以莎乐美为名,将今天的故事演成了戏剧和歌剧。
そういう、印象的な場面。
是这样印象深刻的场景。
サロメの踊りが素晴らしかった。
莎乐美的舞蹈非常精彩。
ヘロデは喜んで、「願うものは何でもやろう」と言った。
希律很欢喜,说“想要什么都给你。”
そうするとサロメは母親ヘロディアと相談して、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った。
于是,莎乐美去和母亲希罗底商量了后,说“请把施洗约翰的头放在盘子里,拿到这里来。”
ヘロデは誕生日のパーティーで他にも人がいる中で、「願うものは何でもやろう」と約束してしまったので、断ることができなかった。
希律因为在生日派对上当着众人,说了“要什么都可以给你”,所以无法拒绝。
へロディアがヨハネを殺させたかたち。
希罗底想要杀约翰。
前の夫と別れて、前の夫の兄弟であるヘロデと結婚したへロディア。
和前夫分手,与前夫兄弟结婚的希罗底。
その結婚は罪だと言っていたヨハネ。
之于说这婚姻是罪恶的约翰。
へロディアはヘロデよりももっとヨハネを恨んでいた。
希罗底比希律更恨约翰。
ただ、この事件は前に起こった出来事。
不过,这事是之前发生的。
今この時、ヨハネが殺されたのではない。
约翰不是现在这个时候被杀害的。
1節2節を読むと、まず、ヘロデが、イエスの評判を聞いた。
第一第二节,希律先听了耶稣的名声。
イエスのことを聞いたヘロデは言った。
听了耶稣情况的希律说:
イエスは洗礼者ヨハネだ、ヨハネが復活したんだ、だから、神の力がイエスに働いている、と言った。
耶稣是施洗约翰,约翰复活了,所以神的大能在耶稣身上做工了。
つまり、イエスの話を聞いて、前に自分が殺したヨハネのことを思い出した。
就是说,听了耶稣的事,想起了之前自己杀害约翰的事。
しかし、自分が殺した人が復活したとしたら、その人に会いたいと思うだろうか。
可是,自己杀害的人复活的话,会想要见那人吗。
ヘロデはイエスに会いたいと長い間思い続けていた。
希律长时间来一直想见耶稣。
それは、この言葉を見ても分かる。
这点,看这便能明白。
ヘロデはイエスを認めている。
希律认可耶稣。
そして実際、イエスの裁判をする時には神の力が働いているイエスに会えるということで喜んだ。
而实际上,审判耶稣的时候,因为能见到有神的大能做工的耶稣而欢喜。
自分が殺した人が復活したと思って、それなのに、イエスには奇跡を行う力が働いているとほめている。
觉得自己杀害的人复活了,然而却赞美行神迹的大能做工在耶稣身上。
そして、その人に会いたいと思う。
并且想要见那人。
普通なら怖くて会えない。
一般的话害怕得不想见。
この人には、罪の自覚がない。
这人没有意识到罪。
自分が悪い、自分がおかしいとは思わない人。
不觉得自己是坏人,是怪人。
だから、前の妻と離婚して自分の兄弟の妻を奪っても平気。
所以,和前妻离婚,夺了自己兄弟的妻子也不以为然。
そのために前の妻の国と自分の国で戦争になっても、自分が悪いとは思っていなかっただろう。
因为这个,前妻的国家和自己国家引发战争,也没觉得自己不对。
自分は悪くないから、自分のことを悪く言う人は殺そうとする。
因为自己没什么不对,所以想要杀说自己不好的人。
自分は悪くないから、その人が復活したと思ったら、その人をほめて、その人に会いたくなる。
因为觉得自己不坏,以为那人复活了,就称赞那人,想要见那人。
罪の自覚がないということを通り越して、自分を神にしてしまっている。
没了对罪的认知,就把自己当成了神。
ヨハネを殺すことになった時、ヘロデは心を痛めたけれども、原因を作ったのはヘロデ自身。
杀约翰的时候,即使希律痛心,始作俑者还是希律自己。
“要什么都给你。”
本当は「何でも」ということはできない。
实际上 “什么都行”是做不到的。
永遠の命をくださいと言われたらどうするのか。
说要永生的话怎么办呢?
神になったつもり。
他想要成为神。
その中で、預言者を殺すことになってしまう。
这过程中,杀了先知。
神の言葉を殺すことになってしまう。
就是断了神的话语。
自分が神だと勘違いして、その結果、神の言葉を殺してしまう。
误认为自己是神,结果就是断了神的话。
罪の自覚がない、自分は悪くない、というところから始まって、ここまで行ってしまった。
认识不到罪,不觉得自己坏,以此开始,到了这一步。
私たちは、ヘロデの逆でありたい。
希望我们大家和希律相反。
神の言葉を聞く。
听神的话语。
そして、神を見上げる。
并且仰望神。
そうすると、自分の罪が分かってくる。
这样的话,就能明白自己的罪。
ヘロデの逆になる。
就会与希律不同。
自分は正しいと思って、どれだけ人を攻撃してきたか。
认为自己是对的,会攻击人到什么程度。
ヘロデほどではないとしても、どれだけ自分中心の生き方をしてきたか。
即使不至于到希律那样,又是如何以自我为中心的活着呢?
そしてそれは、心を痛めることではない。
而且这并不是什么痛心的事。
神は罪を赦す神。
神是赦免的神。
罪を赦すためなら、自分が死んでも良いというのが十字架。
为了赦免罪,自己死都没有关系,这就是十字架。
私たちは喜んでいい。
我们欢喜就好。
神はいつでも、私たちを赦してくださっている。
神一直都会赦免我们。
昨日も今日も、神は私たちを生かしてくださっている。
昨天,今天,神都让我们活着。
赦しの中に生かしてくださっている。
让我们活在赦免中。
そして、神は私たちに天国を与えてくださると約束してくださっている。
而且,神约定将天国赐予我们。
その天国は、どこか遠い空の上にあるものではなくて、この地上に実現していくもの。
这天国并不是在遥不可及的天边,就在此地。
イエスは、天国をパーティーにたとえている。
耶稣把天国比作派对。
パーティーは喜びの時、喜びの場所。
派对是开心时行乐的地方。
私たちが人生が喜びになる。
我们的人生将充满喜乐。
それは、ヘロデの誕生日のパーティーとは違う。
这和希律的生日派对不同。
神を見上げるパーティー。
是仰望神的派对。
神が私たちを祝福してくださるパーティー。
是神赐福我们的派对。
人生がそのようなパーティーになる。
人生就如同那样的派对。
だから、喜んで神の言葉を聞きたい。
因此,希望大家欢欢喜喜聆听神的话语。
神を見上げたい。
仰望神。
そうする時、気づかされる。
到那时,就会知道。
私が神を見上げるより前から、神が私を愛して、私を見ていてくださった。
在我们仰望神之前,神就爱了我们,关注着我们。