今週の説教「終わりの日に備えて」(新約聖書・マタイによる福音書24章1節から14節)

 

 

新約聖書・マタイによる福音書241節から14

 

 

新约马太福音241-14

 

 

1イエスが神殿の境内を出て行かれると、弟子たちが近寄って来て、イエスに神殿の建物を指さした。2そこで、イエスは言われた。「これらすべての物を見ないのか。はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」

 

  耶稣出了圣殿,正走的时候,门徒进前来,把殿宇指给他看。耶稣对他们说:“你们不是看见这殿宇吗?我实在告诉你们:将来在这里,没有一块石头留在石头上不被拆毁了。

 

3イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」4イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。5わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。6戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。7民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。8しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。9そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。10そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。11偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。12不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。13しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。14そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」

 

  耶稣在橄榄山上坐着,门徒暗暗地来说:“请告诉我们,什么时候有这些事?你降临和世界的末了,有什么预兆呢?耶稣回答说:“你们要谨慎,免得有人迷惑你们。因为将来有好些人冒我的名来,说:‘我是基督’,并且要迷惑许多人。你们也要听见打仗和打仗的风声,总不要惊慌,因为这些事是必须有的,只是末期还没有到。民要攻打民,国要攻打国,多处必有饥荒、地震。这都是灾难的起头。那时,人要把你们陷在患难里,也要杀害你们;你们又要为我的名被万民恨恶。那时,必有许多人跌倒,也要彼此陷害,彼此恨恶,且有好些假先知起来,迷惑多人。只因不法的事增多,许多人的爱心才渐渐冷淡了。惟有忍耐到底的必然得救。这天国的福音要传遍天下,对万民作见证,然后末期才来到。”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

弟子たちがイエスに近寄って行って、神殿の建物を指さした。

 

  门徒来到耶稣跟前,指着殿宇。

 

イエスに対して、この神殿を見てください、ということ。

 

  也就是对耶稣说,请看这神殿。

 

イエスは、すぐ前のところで、この町が崩される、神殿も崩される、というような話をしていた。

 

  耶稣就在这之前说过,这城会被毁,神殿也会被毁。

 

そして、そのイエスの言葉は、この四十年後に実現する。

 

  耶稣这话,在四十年后应验了。

 

そして、今でも神殿は崩れたまま。

 

  而且,直到今天,神殿还是被毁之时的样子。

 

しかし、弟子たちは、そんなことを信じない。

 

  可是,门徒不相信这事。

 

弟子たちは指さして言う。

 

  门徒指着神殿说:

 

「イエス様、この立派な神殿を見てください。これが無くなってしまうと思いますか」。

 

  “耶稣,请看这宏伟的殿宇。您觉得这会变没吗?”

 

しかし、イエスは言う。

 

  可是,耶稣却说:

 

「これらすべての物を見ないのか。はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」。

 

  “你们不是看见这殿宇吗?我实在告诉你们:将来在这里,没有一块石头留在石头上不被拆毁了。”

 

弟子たちは、本当のことが見えていない。

 

  门徒没有看到本质。

 

そう、私たちは、今、目で見てはっきり分かるものに心を奪われてしまう。

 

  是的,我们如今被肉眼能清晰所见的东西夺了心志。

 

何かしっかり立っているような、力がありそうなものがあれば、これは大丈夫だ、崩れることはない。

 

  只要是稳稳当当立着的,看上去很有力的东西,就觉得没事,不会倒的。

 

勝手に安心してしまう。

 

  自以为没事。

 

神が人に呼びかける時、よく、「恐れるな」と言う。

 

  神招呼人的时候,经常说“不必惊慌”。

 

人間は不安が強い。

 

  人不安全感比较强烈。

 

ということは逆に言うと、安心したい。

 

  反而言之就是说,想要安心。

 

しっかりした、力のあるものを見ると、勝手に安心する。

 

  一看到牢固有力的东西,就自以为没事的。

 

弟子たちはこの時、神殿を指さした。

 

  门徒当时指着神殿说:

 

「これは大丈夫です」。

 

  “这不会有事的。”

 

では、私たちは何を指さしているだろうか。

 

  那么我们指着什么呢?

 

私たちが、「これは大丈夫です。崩れることはありません」と思っているもの。

 

  是我们认为“没事的,不会崩”的东西。

 

世の中の人にそれを質問したら、自分がもっているお金だ、と言う人もいるだろう。

 

  向世人问这个问题的时候,会有人回答说自己所拥有的钱财吧。

 

自分の能力だ、と言う人もいるだろう。

 

  也有人会说是自己的能力。

 

自分の地位だ、と言う人もいるだろう。

 

  还有人会说是自己的地位。

 

あるいは、今の世の中だ、これは大丈夫だろう、と言う人もいるだろう。

 

  或许,还有人说,如今这个时代,没问题的。

 

まあまあ安定した世の中で、お金があればモノが買えるし、自分の能力で自分のポジションを手に入れることもできる。

 

  还算安定的时代,只要有钱,东西就可以买到,凭自己的能力也可以拥有地位。

 

この社会は崩れることはない。

 

  这社会不会崩塌。

 

そうだろうか。

 

  是这样吗?

 

昔のお金は金と交換することが出来た。

 

  以前的钱可以交换黄金。

 

今のお金はできない。

 

  现在的钱却不行。

 

お金のことを英語でクレジットと言う。

 

  英语中把钱说成credit

 

信用という意味。

 

  信用的意思。

 

その国が信用されているから、そのお金には価値がある。

 

  因为这个国家有信誉,这钱就有价值。

 

国に信用が無くなったらどうなるか。

 

  国家没有信誉会怎样呢?

 

お金の価値がなくなる。

 

  钱就没有价值了。

 

国が戦争に負けたら、お金の価値は無くなる。

 

  国家在战争中败了的话,钱就没有价值了。

 

お金が紙切れになる。

 

  钱就成了废纸。

 

そうなると世の中も無茶苦茶になる。

 

  这样一来,这个世道也是乱哄哄的。

 

そういうことはいつでも、どこででも起こる。

 

  这样的事情什么时候什么地方都会发生。

 

今、アフガニスタンはどうなっているだろうか。

 

  如今的阿富汗变成什么样了呢?

 

 

 

 

 

ただ、この時、イエスの弟子たちは、イエスの話を聞いて、神殿が崩れるというのは、世の終わりのことだ、と考えた。

 

  当时,耶稣的门徒听了耶稣的话,认为神殿被毁是世界末日的事情。

 

世の終わりまで、神殿はあるはずだ。

 

  神殿应该存在到世界的末了。

 

神殿はこの世で一番確かなものだ。

 

  神殿是这世上最真实的。

 

だから、イエスに聞いた。

 

  所以问耶稣:

 

「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」

 

  “请告诉我们,什么时候有这些事?你降临和世界的末了,有什么预兆呢?

 

世の終わりはいつなのか。

 

  世界末日是什么时候?

 

その時、どんなしるしがあるのか。

 

  那时会有什么征兆?

 

聖書には、この世には終わりがあると書かれている。

 

  圣经上写着这个世界会有终结。

 

世界には始まりがあって、神が世界を造った。

 

  世界有起始,神创造了世界。

 

そして、その世界には終わりもある。

 

  而且这世界也有终结。

 

神が今の世界を終わらせて、神の恵みの世界を完成させてくださる。

 

  神让世界终了,满了神恩惠的世界会实现。

 

 

 

 

 

世界に始まりがあって終わりもあるという考えを、現代では世界中の人々が持っているが、それは実は聖書の話。

 

  现在全世界人都认为世界有始有终,实际上这是圣经的话语。

 

聖書以外の考え方では、世界に始まりがあって終わりがあるという考え方はしない。

 

  圣经之外,世界有始有终这种想法是没有的。

 

春夏秋冬、春夏秋冬というように、ずっと同じことを繰り返すというのが、聖書以外の考え方。

 

  像春夏秋冬,四季轮回那般,一直重复,是圣经以外的想法。

 

それに対して、時間というものがストレートにずっと伸びて行って、いつか終わりが来る、というのが聖書。

 

  于此相对,时间一直延伸下去,有一天会终结,这是圣经。

 

ただ、今の世界には終わりがあるけれども、今の世界が崩れてお終いではない。

 

  不过,如今的世界虽然会终结,却不会因毁灭而终了。

 

その時、神の国が実現する。

 

  到那时,神的国会实现。

 

だから、世の終わりを待つというのは、世界が崩れるのを待つわけではない。

 

  所以,等待世界的终了,不是等待世界毁灭。

 

神の恵みが完成するのを待つ。

 

  而是等待神的恩惠完成。

 

 

 

 

 

大事なのは、惑わされないこと。

 

  重要的是不要被迷惑。

 

偽物のメシアが現れたり、戦争が起こったり、国の中でも争いがあったり、飢饉や地震が起こったりする。

 

  伪救世主会出现,战争会发生,国家内部也会有纷争,饥荒、地震也会发生。

 

そういうことは、いつでも、どこでも起こること。

 

  这种事,无论何时、何地都会发生。

 

私たちはこういうことがあるとそれが世の終わりかと思ってしまうが、そうではない。

 

  这种事情一发生,我们就会认为是世界末日,其实不是的。

 

世の終わりの前にもこういうことがあるが、8節の言葉で言うと、それは、「産みの苦しみの始まり」。

 

  世界末日前也有这种事,用第8节的话来说,这是“生产之难”。

 

9節を見ると、クリスチャンが憎まれたり、殺されたりすることも起こってくる。

 

  看第9节说,基督徒被憎恨,被杀害。

 

今、アフガニスタンではそういうことが起こっている。

 

  现在阿富汗就有这样的事。

 

10節では、クリスチャンでも、つまづいてしまう、信仰を無くしてしまう。

 

  10节,基督徒也有跌倒,失了信仰的。

 

クリスチャン同士の間でも、裏切ったり、憎んだり。

 

  基督徒之间,彼此陷害,彼此憎恨。

 

こうして、世の中全体、「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」。

 

  如此,全世界“不法的事增多,许多人的爱心渐渐冷淡了”。

 

まさに、今の時代にことを言っているのではないかと思える。

 

 可以认为,就是在说如今这个时代。

 

しかし、いつの時代だったらそうではなかったと言えるのか。

 

  可是,哪个时代不是这样呢?

 

いつの時代も、その時代に生きている人にとってはそうだったのではないか。

 

  任何时代,对于活在那个时代的人而言不都是这样的吗?

 

 

 

 

 

大事なことは、、そういういろいろな悲しい出来事によって、この世が終わるのではない。

 

  重要的是,不是因为这许多的灾难,世界才会终了。

 

何によってこの世が終わるのか。

 

  因为什么世界才终了呢?

 

弟子たちはこの点では正しかった。

 

  门徒在这一点上是对的。

 

3節で弟子たちは言っていた。

 

  3节,门徒说:

 

イエスが再び来る時、今の世が終わる。

 

  耶稣再来的时候,世界会终了。

 

救い主、メシアが来て、神の恵みが完成する時、今の世が終わる。

 

  救世主弥撒亚来,神的恩惠完成的时候,世界会终了。

 

世の終わりには世界が崩れるような悲しい出来事もあるけれども、それよりも大事なのは、救い主がすべての悲しみを終わらせてくださって、神の恵みを完成させてくださるということ。

 

  在世界的末期,也有世界被摧毁这样的灾难,但是比这更为重要的是,救世主让一切的痛苦结束,完成了神的恩惠。

 

私たちは、世の終わりと聞くと、悲しい出来事ばかり気を付けるけれども、イエスは、それは違う、と言っている。

 

  我们听到世界末日,只注意到灾难,耶稣说这不对。

 

世の終わりには、救い主が救いを完成させてくださり、悲しみ苦しみを滅ぼしてくださる。

 

  在世界的末了,救世主完成了救赎,灭了悲苦。

 

だから、世の終わりの始まりのことが、「産みの苦しみ」と言われている。

 

  所以说把世界末了的开始说成是“生产之难”。

 

子どもを産む時の苦しみは小さいものではない。

 

  生孩子时的痛苦不是小事。

 

私の子どもが生まれる時、私もそこにいた。

 

  我孩子出生的时候,我也在那里。

 

私自身がその苦しみを経験できないことが申し訳ないくらいの苦しみ。

 

  这种痛苦,我自己没能经历,特别过意不去。

 

その部屋の壁に書いてあった。

 

  那房间的墙上写着:

 

「奥さんは命がけで頑張っています。このソファで寝ないでください。眠かったら家に帰って寝てください」。

 

  “妻子在拼命努力,请不要在这沙发上睡觉,困的话回家去睡”。

 

目を覚ましていなさい、という御言葉を思い出す。

 

  想到了“要警醒”这一话语。

 

家に帰って寝てしまったら、喜びの時に一緒にいられない。

 

  回家睡觉的话,喜乐的时候就不能同在了。

 

苦しみを共にして、喜びも共にする。

 

  同甘共苦。

 

その苦しみは、すぐそこまで喜びの時が来ているということを約束された苦しみ。

 

  这痛苦是说好了喜乐马上会来的痛苦。

 

この世には苦しみがある。

 

  这世间有痛苦。

 

世の終わりにも苦しみがある。

 

  在世界的末了也有痛苦。

 

今も、世界中に苦しみがある。

 

  现在也是,世上有痛苦。

 

ほとんどの場合、私たちはその苦しみに耐えるしかない。

 

  大部分情况,我们只能忍受痛苦。

 

しかし、13節、「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」。

 

  可是,13节说,“惟有忍耐到底的必然得救”。

 

苦しみの向こうに、必ず喜びがある。

 

  痛苦之后必然有喜乐。

 

 

 

 

 

私たちは、何を指さして生きるか。

 

  我们指什么活着呢?

 

世の終わりに救いを完成させてくださるイエス・キリストを指さして、今を生きる。

 

  指着在世界末了完成救赎的耶稣而活。

 

そして、それは、具体的にどう生きることか。

 

  并且,具体怎么活呢?

 

14節、「御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる」。

 

  14节,“这天国的福音要传遍天下,对万民作见证,然后末期才来到”。

 

世の終わりの救いを指さして生きる私たちは、その救いの福音、良い知らせを、人々に伝えていく。

 

  指着世界终了的救主而活的我们,要把这救赎的福音,好消息传给众人。

 

神の子イエス・キリストが与えてくださる救いに本当の希望がある。

 

  神子耶稣基督的救恩里有真盼望。

 

この希望は、お金の値打ちが無くなっても、社会が崩れても、世界が崩れて無くなっても、無くならない希望。

 

  即使金钱贬值,社会崩塌,世界毁灭,这希望也不会破灭。

 

全部ダメになってもなくならない希望。

 

  即使一切都没了也不会破灭的希望。

 

全部崩れた後に、新しく実現する希望。

 

  全部被毁后,重新成就的希望。

 

それが、神の希望。

 

  这是神的希望。

 

本当の希望。

 

  真正的盼望。

 

人間の希望は、生きている間だけのこと。

 

  世间的希望存在于活着时候。

 

お金がある間だけのこと。

 

  有钱的时候。

 

能力がある間だけのこと。

 

  有能力的时候。

 

神の希望は、人間の希望が全部無くなっても、無くならない。

 

  神的希望,即使在世间的希望全没了之后,也不会破灭。

 

私たちは、それを指さして生きる。

 

  我们指着这而活。

 

それを伝えながら生きる。

 

  传达着这点而活。

 

苦しみはある。

 

  有痛苦。

 

悲しみもある。

 

  有悲伤。

 

しかし、私たちはそれでも、それだからこそ、神の希望を指さして生きる。

 

  可是,即便如此,正因为如此,我们指着神的希望活着。

 

この時代にあって、神の希望を現わして、それを証ししながら生きる。

 

  在这个时代,

 

その希望は私たちを裏切らない。

 

  这希望不会背叛我们。

 

その希望は、神の子イエス・キリストが命がけで約束してくださったものだから。

 

  因为这希望是神子耶稣基督用生命为代价做的约定。

 

忍耐して、神の国に入ろう。

 

  忍耐到底,进入神的国吧。

 

イエスは私たちを待っている。

 

耶稣等候着我们。