ルカによる福音書1章25節から38節
路加福音1章25-38节
25六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。26ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。27天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」28マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。29すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。30あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。31その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。32彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」33マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」34天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。35あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。36神にできないことは何一つない。」37マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
到了第六个月,天使加百列奉神的差遣,往加利利的一座城去,这城名叫拿撒勒。到一个童女那里,是已经许配大卫家的一个人,名叫约瑟。童女的名字叫马利亚。天使进去,对她说:“蒙大恩的女子,我问你安,主和你同在了!”马利亚因这话就很惊慌,又反复思想这样问安是什么意思。天使对她说:“马利亚,不要怕!你在神面前已经蒙恩了。你要怀孕生子,可以给他起名叫耶稣。他要为大, 称为至高者的儿子,主神要把他祖大卫的位给他。他要作雅各家的王,直到永远,他的国也没有穷尽。”马利亚对天使说:“我没有出嫁,怎么有这事呢?”天使回答说:“圣灵要临到你身上,至高者的能力要荫庇你,因此所要生的圣者,必称为神的儿子。况且你的亲戚伊利沙白,在年老的时候也怀了男胎,就是那素来称为不生育的,现在有孕六个月了。因为出于神的话,没有一句不带能力的。”马利亚说:“我是主的使女,情愿照你的话成就在我身上。”天使就离开她去了。
イエス・キリストの誕生が予告される場面です。
预告耶稣基督诞生的场景。
この時は、マリアにとって初めての結婚をする直前ですね。
当时就在马利亚初次结婚之前。
この時代、女性が結婚する年齢というのは何歳くらいだったでしょうか。
那个时代,女性结婚年龄大概是几岁呢?
14歳くらい、今でいうところの中学生ですね。
是14岁左右,现在的话是中学生吧。
それも、マリアが住んでいたのは、ナザレというのはエルサレムから遠く離れた田舎町です。
而且,马利亚住的地方是叫做拿撒勒的远离耶路撒冷的乡村。
マリアは田舎の女の子だったんです。
马利亚是个乡下女孩子。
マリアは神様が選んだ人ですが、その人は、権力のある人だったりお金を持っている人だったり特別な能力を持っている人だったわけではなくて、どこにでもいるようなただの女の子だったんです。
马利亚虽然是神所拣选的,但此人并不是有权的,有钱的, 有特殊能力的人,而是随处可见普通女子。
私たちは、神様が人を選んで人を立てる、なんて聞きますと、それはもう誰が見ても立派な人に違いないと思ってしまいがちですけれども、そうじゃないんですね。
我们听到说神拣选人,按立人之类的,会想那人肯定是在谁看来都非常优秀的,但并不是这样的的。
今回選ばれたのはごく普通の人です。
这次被拣选的是非常普通的人。
その意味で、私たちと何の変わりもないんです。
就这点而言,和我们没有任何不同。
どこにでもいる普通の人にしか見えないような人を神様が選ぶことがあるんですね。
神选的只不过是随处可见的普通人。
ですから私たちは誰も、自分はそんな神様の働きのために選ばれたりはしないだろうなんて考えるべきではないんですね。
所以,我们谁也不应该认为我不会因为神如此的做工而被选上。
というよりも、私たちも選ばれていると思った方がいいと思うんです。
而是应该觉得我们也已被选上。
私たちはこうして今、聖書の言葉、神の言葉を聞いている。
我们现在如此这般聆听圣经的话语,神的话语。
そして、今日の話は、イエス・キリストのことを知るために、絶対に必要な話でもないわけです。
今天的话语并不是了解耶稣基督绝对有必要的内容。
何しろ、イエス・キリストが生まれる前の話ですから。
因为是耶稣基督出生之前的内容。
でもその話が聖書に書かれている。
但是这内容写在圣经上。
私たちに向けて語られているんです。
是对我们说的。
私たちも、マリアかもしれないんです。
我们也有可能是马利亚。
私たちも、考えもしなかったような神様の働きをすることになるかもしれません。
我们可能也会参与到意想不到的神的做工。
マリアも、自分はこれから何か大きなことをするなんて、思ってもいなかったんじゃないですか。
马利亚也是,自己接下来要做什么大事之类的,想也没想过吧。
ただ、幸せな結婚生活になればいいなと、それだけだったんじゃないですか。
想着能过上幸福的婚姻生活就很好,只想着这一点吧。
でも、こういうことになった。
但是却变成了这样的事。
ですから、今日の聖書の言葉を聞いている私たちは、いつ神様の働きをする時が来てもいいように、心の準備をしておきたいですね。
因此,希望听了今天圣经话语的我们,心里做好准备,为神做工的时刻什么时候到来都可以。
神様が人を選んで人を立てる時、どんな形でそういうことが起こってくるんでしょうか。
神拣选人,按立人的时候,以什么形式呢?
今日の御言葉から言いますと、天使がやってきてそれを知らせた、ということですね。
就今天的话语来说,天使来告知这事。
これはちょっと困ったことですね。
这点稍微有点困惑了。
天使なんて聞きますと、何か一気にリアリティーがなくなってしまうような気がします。
一听到天使,感觉一下子变得不真实了。
でも、そういうふうに思うのは、私たちが天使というものをイメージする時、背中に羽が生えているとか、空から舞い降りてくるとか、そんなふうに思っているからなんですね。
但是,有这种想法是因为我们想到天使的时候,觉得是背上长着翅膀,从天而降这种感觉。
でも、今日の聖書の箇所にそんなことが書かれているでしょうか。
但是,今天的圣经部分写着这样的事吗?
そんなことは書かれていません。
没有写那样的事。
ですから、今日の場面に登場してくる天使も、見た目はごく普通の人だったかもしれないですね。
因此,今天登场的的天使,可能也是非常普通的人。
聖書の他の場面にそういうことがあるわけなんですが、ある時、天使が、旅人の姿である人のところを訪ねてきた、なんていう話もあるんです。
圣经其它的场景中也有这样的内容,某个时候,天使以路人的形象来到某个人的住处,有类似的内容。
相手が天使かどうかは見た目ではわからないっていうことですよね。
对方是不是天使,用眼睛看是看不出来的。
というか、天使という言葉は原文では「メッセンジャー」という言葉ですから、神様からのメッセージを伝える人という、それだけのことですから、普通の人とは見た目が違うとか、そういうことは大事ではないんですね。
说起来,天使一词在原文中是“送信者”,所以是从神那里来送信的,就只是这个意思,因此,和普通人看起来不一样之类的,这些并不重要。
要するに、神様からのメッセージを伝える役目をしているかどうかということなんです。
重要的是, 所做的是否是传递从神而来的信息这一任务。
背中に羽が生えているかどうかなんて問題じゃないんですね。
背上有没有长翅膀之类的不是问题。
ですから、もしかしたら、私たちは、それぞれの職場で天使に出会うかもしれない。
因此,我们可能会在不同的职场遇见天使。
近所の人が天使かもしれない。
家附近的人也有可能是天使。
今ここにいるお互いがお互いにそうかもしれない。
此刻在这里的或许对彼此来说都是。
そういう心づもりをしておく必要があるんでしょうね。
留心这一点是有必要的。
そして、今日、メッセンジャーが伝えた言葉がこれですね。
今天,信使传递的话语是这:
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」。
“蒙大恩的女子,我问你安,主和你同在了”。
それを聞いて、マリアは戸惑ったと書かれていますね。
经上写着马利亚听了这话很困惑。
この戸惑ったという言葉は原文では、「ものすごく不安になった」というくらいの言葉なんですね。
困惑在原文中差不多是“非常不安”的意思。
天使の姿を見て、不安になったのではありません。
不是见到天使的模样不安。
言葉を聞いて、不安になった。
是听了所说的话不安。
しかしどうして、この言葉にそんなに不安になったんでしょうか。
可是为什么这话会让人如此不安呢?
「おめでとう」と言っていますが、この言葉は実は普通のあいさつの言葉です。
说的是 “问你安”,这话实际上是很普通的问候语。
「主があなたと共におられる」というのも、良くある祝福の言葉だったんです。
“主和你同在了”也是常用的祝福语。
このあいさつの言葉は、何も特別なことは言っていないんです。
这问候语,并没有说什么特别的事。
それなのにマリアが恐れるのは、この言葉を、神からのメッセージだと受け止めたからでしょう。
然而马利亚害怕,是因为她接受了这话是从神而来的。
大事なのはここですね。
重要的是这点。
誰かから話しかけられた時、その言葉を、神の言葉だと考えることができるかどうか。
有人跟你说话的时候,能否把此话当成是神的话语来考虑。
そういうアンテナを張っているかどうか。
是否留意这点。
そして、神の言葉を聞いた時、恐れることはないんです。
而且,听到神话语的时候,没什么可怕的。
マリアに対して天使は何と言いましたか。
天使对马利亚说了什么呢?
「マリア、恐れることはない」。
“马利亚,不要怕”。
そもそも、今日の場面ですけれども、神様は何もマリアに前もってこんなことを伝えたりせずに、ご自分で勝手に事を進めることもできたわけじゃないですか。
今天的场景,神原本可以事先什么都不对马利亚讲,自行进行下去。
でも、そうはなさらないんです。
但是,没有这样做。
マリアが納得してくれるように話をするんです。
为了让马利亚同意跟她说了。
神様は人を用います。
神用人。
しかしそれは、無理やりではないんです。
可是,不是强加于人。
話をしてくださる。
跟她商量。
だから、私たちとしては、その話をちゃんと聞くことですね。
因此,对我们来讲,重要的是要好好聆听神的话语。
それは違う、それは困る、と思ったとしても、心を開いて話を聞くことです。
这是不对的,这很为难,就算这样想,也要打开心扉聆听。
30節から33節まで、天使はマリアに言いますね。
30至33节,天使对马利亚说话。
まず、これは恵みなんだと言いますね。
首先说这是恩惠。
そして、その子は偉大な人になる。
接着说,这孩子要为大。
「いと高き方の子」、つまり、神の子と言われる。
“至高者的儿子”,也就是说是神的孩子。
その子には、父ダビデの王座が与えられる。
要把他祖大卫的位子给这孩子。
これは救い主であるということです。
这里是指救世主。
救い主が生まれることは昔々から預言されていましたが、救い主はダビデの家系に生まれるとされていました。
救世主降临,很久很久以前就预言了,救世主将生在大卫的家族里。
だから、今日の27節でも、マリアの夫ヨセフのことがわざわざ「ダビデ家のヨセフ」と言われていました。
因此,在今天的27节中,马利亚的丈夫约瑟也特地说了是“大卫家的约瑟”。
そして、天使の言葉の最後、33節は、救い主キリストは神が選んだ民を治めるということですね。
而且,天使所说的最后,33节,救主基督要治理神的选民。
ヤコブの家、というのは神が選んだ神の民のことです。
雅各家就是指神所拣选的神的子民。
その人々を、キリストは治めるんですね。
基督治理那些人。
こういうことですから、14歳の普通の女の子にとっては、これはもうとんでもない話です。
是这样的事情,所以对于一个14岁的普通女孩来说,是不得了的事。
びっくりするというか、もう何も言えなくなってしまうような話です。
别说是吓一跳了,简直是连话都说不出来了。
ただ、マリアにとっては、そもそもそういうことってあるの、という疑問がありました。
不过,在马利亚看来,“有这事吗?”她有这样的疑问。
何しろこの時点ではマリアはまだ結婚していないんですね。
因为那个时候马利亚还没有结婚。
ですので、マリアは聞きます。
因此,马利亚问道:
「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」。
“我没有出嫁,怎么有这事呢?”
ただ、このマリアの言葉はちょっと気を付けて読まなくてはならないと思います。
我觉得马利亚的这话必须要用点心读。
「どうして、そのようなことがありえましょうか」という言葉を聞きますと、そんなことはない、と言っているように聞こえます。
“怎么有这事呢?”一听这话,听起来就像是在说没有这种事。
ですが、原文を見ますと、この言葉は、「どのようにしてそれが可能となるのですか」というふうにも訳すことができる言葉なんですね。
但是,看原文的话,这话还可以翻译成“要如何做,这才可能呢?”
ありえない、と言っているのではなくて、もしそれが実現するとしたら、どういうかたちで実現するんですか、と質問しているように受け取ることもできる言葉なんです。
没有说不可能,而是说要应验的话是以什么形式应验的呢,这样问来表示接受。
つまりこれは反発しているのではなくて、前向きに理解しようとしているということなんですね。
也就是说这不是反驳,而是想要进一步了解。
私はここのところはそういうふうに理解した方がいいと思います。
我觉得这里这样理解比较好。
実際、この後、天使はその質問に答えて、どういうかたちでそれが実現するのか、という話をしています。
实际上, 后来天使所说的,就是对以什么形式应验的这一提问的回答。
マリアが反発したんだったら天使はまずはマリアを落ち着かせようとするでしょうけれども、天使はマリアに説明をしているわけですので、この時のマリアの気持ちはもう前向きになっていて、これから起こる神の出来事を理解しようとしていると思うんですね。
马利亚如果反对的话,天使会先让马利亚冷静下来,可是因为天使跟马利亚说明,所以当时马利亚的确已经接受,看向下一步了,想要弄明白接下来要发生的神的作为。
これは、私たちも心がけたいことですね。
这点我们也要注意。
とんでもないと思うような話があっても、まず、理解しようとすること。
就算是不可思议的话,首先要去搞懂。
とんでもないと思うようなことがあったとしても、そこにおいて神様が働いておられるかもしれないということなんです。
就算有认为是不可思议的事,可能是在这里的神在做工。
だから、まず理解しようとすること。
所以,首先要去弄明白。
マリアはそのお手本を私たちに示してくれていると思うんですね。
我想马利亚是在给我们做表率。
そして、そのような態度で臨む時、神様は私たちを納得させてくださるんです。
在表明这样的态度时,神会让我们接受。
天使は、マリアに、どういうかたちでそのことが起こるのかを説明します。
天使对马利亚说明了这事如何发生。
聖霊の力でそれが起こるということですね。
圣灵的大能成就这事。
ただ、聖霊なんて言っても、目に見えないので良く分かりません。
不过,就算说了圣灵,因为眼不可见,所以不太明白。
なので、そのことを信じることができるように、しるしも与えてくださいます。
因此,为了让这事可信,连证明都给了。
36節ですね。
在36节。
ありえないと考えられていたことが起こった。
发生了不可思议的事。
子どもを産めないはずの人が、子どもを身ごもった。
应该是不能生孩子的人,怀孕了。
実際にそういうことがあるじゃないか、ということですね。
实际真有这事吗,会这样想吧?
そして最後、37節で、「神にできないことは何一つない」。
于是在最后37节,说 “在神没有不成的事”。
これは原文では、「神においては、すべての言葉は不可能ではないからだ」という言葉です。
这在原文中是“因为一切出于神的话,没有不可能的”。
神において、すべての言葉は不可能ではない。
一切出于神的话,没有不可能的。
神様はご自分の語った言葉を実現させてくださる方なんですね。
神是让自己的话应验的那一位。
約束を守ってくださる方であるということです。
也就是说,是信守约定的那一位。
人間相手に約束を守る、それが神様なんですね。
遵守与人的约定,是这样的神。
神様は人間のことをご自分と対等のパートナーだと思ってくださっている。
神把人当作是和自己对等的同伴。
それに対して、マリアは答えました。
对此,马利亚回答说:
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」。
“我是主的使女,情愿照你的话成就在我身上。”
自分のことをはしため、と言いました。
把自己说成是使女。
はしためというのは女性の奴隷のことです。
使女就是女奴仆。
自分は神様の奴隷です。
自己是神的奴仆。
自分からそう言ったんですね。
自己这么说的。
神様とマリアは対等なパートナーですが、マリアは自分から、神様に従います、という気持ちでそういったんですね。
神和马利亚是对等的同伴,而马利亚自己要跟从主,是以这种心情这么说的吧。
これはなにも、大変な覚悟をしてそう宣言した、ということではありません。
这不是什么大彻大悟后的声明。
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」。
“我是主的使女,情愿照你的话成就在我身上。”
これは落ち着いて、安らぎを感じているからこそ、こう言える言葉ではないかと思います。
我觉得正是因为冷静之后,平静下来之后才能说出来的话。
しかし、このように言う、というのは本当に大変なことではないかと思います。
可是,我觉得这样说真的是很了不起,不是吗?
マリアはこれから、結婚前に子どもを身ごもることになります。
马利亚接下来要在结婚前怀孩子。
そうなったら、夫になるヨセフにどう説明すればいいんでしょうか。
这样的话,要对丈夫约瑟如何解释才好呢?
聖霊によって身ごもるわけですが、そんなことを言ってもヨセフが納得してくれるでしょうか。
虽然是因圣灵感孕,就算这样说,约瑟能接受吗?
普通に考えたら、マリアがヨセフを裏切ったとしか考えられないことが、これから起こってくるのです。
一般来想的话,只能是马利亚背叛了约瑟,是接下来要发生的。
幸せな結婚生活とは全然違うことになっていくかもしれない。
可能会和幸福的婚姻生活全然不同。
それなのに、マリアは、安らぎの中で言うんですね。
然而,马利亚却能平静地说:
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」。
“我是神的使女,情愿照你的话成就在我身上。”
これはマリアが、神の言葉というのが恵みの言葉である、神様は私たちに恵みを実現してくださるのだ、ということが分かっていたからこそ言えたことではないかと思います。
我想这正是因为马利亚知道神的话语是恩典的话语,神让恩典成就在我们身上,才能这么说的。
今日、天使はマリアに何度も恵みということを言いましたけれども、マリアはそのことを良く理解して、分からないことがあったとしても、それもいつかは神様の恵みだったと分かるようになっていくんだと信じて、こう言ったんだと思いますね。
今天,天使对马利亚说了好几次蒙恩,我觉得马利亚非常清楚这一点,即使有其它不明白的,也相信总有一天能明白这是神的恩惠,才这么说的。
このことを私たちも心に留めたいですね。
希望这点我们也要记挂在心里。
神様は私たちの常識に収まる方ではありません。
神不是局限在我们常规认知中的那一位。
今日の場面なんてもう、言ってみたら最初から最後まで非常識です。
今天的场景也是,说起来的话从头到尾都是不合常理的。
ですが、神様が実現してくださるのは恵みであると信じること。
可是,要相信神所要成就的是恩惠。
その約束を信じること。
相信这约定。
そして実際、今日の恵みの御言葉は私たちに実現していますね。
实际上,今天恩典的话语也向我们应验了。
私たちは、イエス・キリストという神の子に治められている神の民なんですね。
我们是耶稣基督神子治理下的神的子民。
今日の途方もない御言葉は、私たちに、このように実現している。
今天不符常理的话语,如此向我们应验了。
その私たちだからこそ、今一度、28節の言葉に聞きたいですね。
正因为是我们,想要再一次聆听28节的话语:
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」。
“蒙大恩的女子,我问你安,主和你同在了。”
私たちはこの言葉を、自分に向かって語られた言葉として聞いていいんですね。
我们可以把这话当作是对自己所说的话。
神様が私たちは用いないなんて、そんなことがあるでしょうか。
神不使用我们,这种事会有吗?
私たちだって、マリアのように、神様の働きのために選ばれて立てられるということはそれぞれにあるはずなんです。
我们也是和马利亚一样,为神做工而被拣选被按立的,这点大家应该都是的。
その時、どうかそれを恐れないでください。
到时候,请勿惶恐。
そこに実現するのは恵みの約束だからです。
因为要成就的是恩惠。
どうかこう答えてください。
请务必如此回答:
「お言葉どおり、この身に成りますように」。
“愿照你的话成就在我身上。”
大丈夫です。
没事的。
私たちは一人ではありません。
我们不是一个人。
神様が一緒に働いてくださいます。
神会和我们一起做工。
私たちは今日、そのような約束の御言葉を聞いたのです。
我们今天聆听的是这立约的话语。