下の方に韓国語と英語の翻訳があります。
아래쪽에 한국어와 영어 번역이 있습니다.
Korean and English translations are available at the bottom.
今週の説教「イエスの神殿」(新約聖書・ヨハネによる福音書2章13節から22節)
本周讲道“耶稣的殿” (约翰福音2章13-22节)
13ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。14そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。15イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、16鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」17弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。18ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。19イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」20それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。21イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。22イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。
犹太人的逾越节近了,耶稣就上耶路撒冷去。看见殿里有卖牛、羊、鸽子的,并有兑换银钱的人坐在那里。耶稣就拿绳子作成鞭子,把牛羊都赶出殿去,倒出兑换银钱之人的银钱,推翻他们的桌子。又对卖鸽子的说:“把这些东西拿去,不要将我父的殿当作买卖的地方。”他的门徒就想起经上记着说:“我为你的殿心里焦急,如同火烧。”因此犹太人问他说:“你既作这些事,还显什么神迹给我们看呢?”耶稣回答说:“你们拆毁这殿,我三日内要再建立起来。”犹太人便说:“这殿是四十六年才造成的,你三日内就再建立起来吗?”但耶稣这话,是以他的身体为殿。所以到他从死里复活以后,门徒就想起他说过这话,便信了圣经和耶稣所说的。
イエスが本気で怒る場面。
耶稣真动怒的场面。
イエスがここまで怒ったのは、この時だけ。
耶稣如此生气,只有在这个时候。
しかも、これは暴力。
而且动手了。
もちろんこれもこの時だけ。
当然也只是在这时。
しかし、ここまで怒るということはどういうことか。
可是,如此动怒是怎么回事呢?
それだけ大事なこと。
这是最重要的。
これ以上はないくらい大事なこと。
没有比这更重要的了。
本気で怒るくらい大事なこと。
重要到足以动怒。
場所は神殿。
地点在神殿。
大事な場所。
是重要的地方。
神殿で、イエスは、商売をしていた人たちに乱暴した。
耶稣在神殿对进行买卖的人动粗了。
しかし、この人たちは、神殿に必要な商売をしていた。
可是,那些人在神殿进行必要的买卖。
牛や羊や鳩を売っていたというのは、神殿で神にささげる動物を売っていたということ。
卖牛、羊、鸽子,其实是卖在神殿供奉神的动物。
神殿に来た人たちは、ここで動物を買って、神にささげる。
来神殿的人,在这里买动物,献给神。
別にそこに売られている動物を買わないといけないわけではない。
并不是说必须买这里所卖的动物。
ただ、神にささげる動物なので、傷があってはいけない。
只是因为要献给神的动物,所以不能有瑕疵。
しかし、牛でも羊でも鳩でも、連れてくるまでにけがをしてしまうかもしれない。
可是,牛、羊、鸽子,带着来的路上有可能会受伤。
そうなるとささげられない。
这样一来就不能供奉了。
だからみんな、お金を払って動物を買って、ささげていた。
所以大家都花钱买动物进行供奉。
両替人というのも同じ。
兑换银钱的人也是一样的。
これも神殿に必要なビジネスだった。
这也是在神殿必须要做的生意。
神にささげるためのコインを売っていた。
卖献给神的银钱。
この世のコインを神にささげるのではなくて、神にささげるための専用のコインを買って、ささげる。
不是把世上的银钱献给神,而是买供奉神专用的银钱,献给神。
この世のコインはけがれているから、神にささげられない。
世上的银钱因为有瑕疵,所以不能献给神。
神にささげるための聖なるコインをささげる。
要献的是专门献给神的圣洁的银钱。
それなのに、イエスは怒る。
然而,耶稣动怒了。
どうしてか。
为什么呢?
イエスは16節で言った。
耶稣在16节说:
「わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
“不要将我父的殿当作买卖的地方。”
神殿が、商売の家になってしまっている。
神殿彻底变成了买卖的地方。
神殿とは何か。
神殿是什么地方?
神がおられる場所。
是神所在的地方。
人がそこに集まるのは、神を礼拝するため。
人聚集在此是为了敬拜神。
神殿は礼拝の家でなくてはならない。
神殿必须是礼拜的地方。
それなのに、神殿が商売の家になってしまっている、とイエスは言っている。
然而却成了买卖的地方,耶稣说道。
しかし、そこまでのことが言えるのだろうか。
可是,至于说到如此地步吗?
動物を買うのも両替するのも、神にささげるため。
买动物也好,兑换银钱也罢,都是为了向神献供。
それなのに、礼拝の場所になっていない、これでは商売の家だと言えるだろうか。
然而却被说成了不是礼拜的地方,是买卖的地方,能这么说吗?
これはこの後のイエスの言葉を見て行くと分かる。
这点看了后面耶稣的话语就明白了。
ユダヤ人たちは怒って、イエスに対して、奇跡を見せてみろと言った。
犹太人生气地对耶稣说要显神迹给他们看。
これは、「こんなことをするということは、お前は神から遣わされた者なんだな、だったら証拠を見せろ」ということ。
就是“你既作这些事,还显什么神迹给我们看呢?”
それに対して、イエスは答えた。
对此,耶稣回答说:
「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」
“你们拆毁这殿,我三日内要再建起来。”
この「立て直す」という言葉は、「復活させる」という言葉。
这里的“再建”用的就是“复活”。
「三日で」と聞くと、イエスが十字架につけられてから、三日後に復活したことを思い出す。
听到说“三日内”,就会想到耶稣被钉十字架,三日后复活的事。
別にイエスが今から未来のことを言っても不思議ではない。
耶稣眼下说今后的事也不足为奇。
不思議なのは、イエスが言う、「この神殿」というのは、イエスご自身の体のことだった。
稀奇的是,耶稣说的“这殿”是耶稣自己的身体。
体がどうして神殿なのか。
身体为什么是神殿呢?
少し後の時代になるが、キリスト教が広まってくると、教会が迫害されるようになった。
稍后的年代,基督教一扩大,教会就开始受迫害了。
パウロというユダヤ人はキリスト教会を迫害するリーダーだった。
叫做保罗的犹太人是迫害教会的头目。
キリスト教というのは間違っていると考えて、迫害していた。
认为教会有问题,加以迫害。
しかし、教会を倒すためにダマスコという町に向かっている途中で、パウロはキリストの声を聞いた。
可是,为了摧毁教会而去大马士革的途中,保罗听到了的基督的声音。
キリストの声がパウロに話しかけた。
基督的声音对保罗说:
「なぜわたしを迫害するのか」。
“为什么逼迫我?”
ここから、パウロはクリスチャンになっていくが、パウロがこの時、迫害していたのはキリスト教会。
从那以后,保罗成了基督徒,但保罗当时迫害的是基督教会。
けれども、イエスは、「なぜわたしを迫害するのか」と言った。
但是,耶稣说“为什么逼迫我?”
教会はイエスご自身。
教会是耶稣自己。
イエスご自身がそう言っている。
耶稣自己这么说的。
教会は私だ。
教会是我。
私は教会だ。
我就是教会。
聖書の他のところでは、教会はキリストの体だと書かれている。
在圣经的其它地方写到,教会是基督的身体。
教会の中には色々な人がいるけれども、それは、一人の人間の体に色々な部分があるのと同じ。
教会中有各色各样的人,但是,就如同一个人的身体有各部位组成一样。
色々な人がいるけれども、色々な人が一つの体になって礼拝している。
有各种各样的人,但是同心合一进行礼拜。
それがキリストの体である教会。
这就是基督的身体,就是教会。
そして、私たちキリスト教会の礼拝と、この時代のこの神殿での礼拝は違う。
而且,我们基督教的礼拜和当时在神殿的礼拜不一样。
この神殿でも、礼拝することはあった。
在神殿,虽然也有礼拜。
しかし、神殿の中で、神がおられる場所が決まっていて、神殿の一番奥の部屋。
可是,神殿里,神所在的地方是有规定的,在神殿最里面的房间。
その部屋には、年に一回、ユダヤ教のトップである大祭司が一人で入る。
这房间,犹太教的最高领袖大祭司一人一年进去一次。
つまり、神を直接礼拝できるのは、年に一回、一人だけ。
就是说,能直接敬拜神的,只有一人,就一年一次。
他の人たちはその時にそこにいても、礼拝の様子を想像するくらいしかできない。
其他人就算当时在那里,也只能是幻想一下礼拜的样子。
神の前に立つのは一人だけ。
站在神面前的只有一人。
他の人は、神殿の中のホールで待つ。
其他人等在神殿中的大厅里。
いや、神殿の中に入れるのはいい方。
不对,进神殿的是好人。
ほとんどの人は建物の中には入れない。
大部分的人进不了神殿里面。
建物の外で待つ。
等在外面。
建物がちゃんと見えるところにいられたらいい方。
能待在清楚看得到神殿的地方的话就是好人。
神殿の建物があって、その周りに壁があって、女の人はその壁の外までしか入れなかった。
有神殿,周围有围墙,女人只能进到围墙外面。
その壁の外にも壁があって、異邦人はその壁の外までしか入れなかった。
围墙外面还有围墙,异邦人只能进到外墙之外。
一年に一回、一人しか直接礼拝できない。
只有一人一年一次可以直接敬拜。
それどころか、人を遠ざけて遠ざけて。
这岂不是拒人于千里之外。
しかし、イエスにとって教会というのはご自分の体で、体の中に色々な部分があるように、教会にはどんな人がいてもいい。
可是,对耶稣来说教会是自己的身体,就如身体有各个不同的部位,教会也可以什么人都有。
そして、どんな人でもキリストの体の部分。
而且,不管什么人都是基督身体的一部分。
どんな人でも、キリストを直接礼拝できる。
不管什么人都可以直接敬拜基督。
そのイエスから見たら、この神殿はどういうふうに見えたか。
在耶稣看来,这神殿成了什么呢?
商売の家。
买卖的地方。
礼拝は一年に一回。
礼拜一年一次。
でも、商売は毎日。
但是,买卖却是每天进行。
そして、お金を出して動物を買ったり両替したりするのは、女の人でも異邦人でも、誰でもできた。
而且,出钱买东动物、换银钱,不管是女人还是异邦人,谁都可以。
キリストにとってこの神殿は商売の家。
在基督看来,这神殿是做买卖的地方。
そんな神殿を作るのに、46年もかけた。
造这样的神殿,花了46年。
そして、この神殿はこの時もまだ工事していた。
而且,神殿当时还在施工。
完成した時には、全部で80年もかかっていた。
全部完成花了80年。
しかし、その7年後にはこの神殿はローマ帝国に壊されてしまう。
可是,7年后,神殿被罗马帝国摧毁了。
今でも壊れたまま。
现在还是摧毁时候的样子。
私たちは、いつでも神を礼拝することができる。
我们任何时候都可以敬拜神。
それは大きな恵み。
这是莫大的恩惠。
イエスが与えてくださった恵み。
耶稣所赐的恩惠。
そもそも、どうしてこの時代の神殿では、年に一回、一人だけしか神の前に立つことができなかったのか。
在那个时代,为什么原先只有一个人,一年才一次可以站在神的面前呢?
人間には罪があるから。
因为人有罪。
どうして動物をささげなければいけなかったのか。
为什么必须要献祭呢?
動物は燃やしてささげる。
动物烧了以后再献祭。
動物の命をささげなければいけなかった。
必须要献上动物的生命。
人間に罪があるから。
因为人有罪。
人間が罰を受ける代わりに動物の命をささげた。
代替人受罪献上了动物的生命。
どうして神殿で両替をするのか。
为什么要在神殿换银钱呢?
この世のお金は罪に汚れているから。
因为世间的金钱被罪玷污了。
しかし、イエスは、私たちの罪を背負って私たちの代わりに十字架にかかってくださった。
可是,耶稣背负我们的罪代替我们钉了十字架。
だから私たちはいつでも礼拝できる。
所以我们可以随时礼拜。
これはイエスが命がけで私たちに与えてくださった恵み。
这是耶稣舍命赐予我们的恩惠。
だから、礼拝ということについては、イエスは本気になる。
所以,关于礼拜,耶稣是很严肃的。
17節で弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と聖書に書いてあるのを思い出した。
17节,门徒想起经上记着说“我为你的殿心里焦急,如同火烧”。
自分を食い尽くすような熱意。
如同火烧自己那般焦急。
そうでないと、十字架にかかるようなことはできない。
不是这样的话,就做不到钉十字架了。
イエスは私たちに、礼拝を与えたい。
耶稣想要我们礼拜。
礼拝しながら、礼拝の中で生きていってほしい。
礼拜,并在活在礼拜中。
そのために命を投げだす熱意。
为此舍命的这份热情。
その熱意が今、ここにある。
此刻就在这里。
금주의 설교 예수의 신전(신약성경 요한복음 2장 13절22절)
13 유대인의 과월제가 다가왔으므로 예수님은 예루살렘으로 올라가셨다.14 그리고 신전 경내에서 소나 양이나 비둘기를 파는 자들과 앉아서 환전을 하는 자들을 보셨다.15예수는 밧줄로 채찍을 만들어 양과 소를 모두 경내에서 쫓아내 환전인의 돈을 퍼뜨리고 그 대를 쓰러뜨리고 16비둘기를 파는 자들에게 말씀하셨다.이런 물건은 여기서 꺼내라.우리 아버지
집을 장사꾼으로 삼아서는 안 된다." 17제자들은 "당신의 집을 향한 열의가 나를 잡아먹는다."고 쓰여 있는 것을 떠올렸다.18 유대인들은 예수에게 당신은 이런 일을 할 바에야 어떤 징표를 우리에게 보여주겠느냐고 말했다.19 예수님은 대답하셨다.이 신전을 부수어 보라.사흘 만에 다시 지어 보이겠다." 20 그래서 유대인들은 "이 신전은 짓는 데
46년이나 걸렸는데 당신은 사흘 만에 다시 짓느냐"고 했다.21 예수님이 말씀하신 신전은 자기 몸을 말하는 것이었다.22 예수가 죽은 자 중에서 부활했을 때 제자들은 예수가 이런 말씀을 하셨던 것을 떠올리며 성경과 예수께서 하신 말씀을 믿었다.
예수님이 진심으로 화를 내는 장면
예수님이 이렇게 화가 난 것은 이때뿐이다.
게다가 이것은 폭력.
물론 이것도 이때뿐.
그러나 이렇게까지 화를 낸다는 것은 무슨 말인가.
그만큼 중요한 일.
더 이상은 없을 정도로 중요한 일.
진심으로 화낼 만큼 중요한 일.
장소는 신전.
중요한 장소
신전에서 예수님은 장사를 하던 사람들에게 행패를 부렸다.
그러나 이들은 신전에 필요한 장사를 하고 있었다.
소나 양이나 비둘기를 팔았다는 것은 신전에서 신에게 바치는 동물을 팔았다는 것이다.
신전에 온 사람들은 이곳에서 동물을 사서 신에게 바친다.
따로 그곳에 팔리는 동물을 사야 하는 것은 아니다.
다만 신에게 바치는 동물이므로 상처가 없어야 한다.
그러나 소든 양이든 비둘기든 데려올 때까지 다칠지도 모른다.
그렇게 되면 바칠 수 없다.
그래서 다들 돈 주고 동물 사서 바치고 있었다.
환전인이라는 것도 마찬가지다.
이것도 신전에 필요한 비즈니스였다.
신에게 바치기 위한 동전을 팔고 있었다.
이 세상의 동전을 신에게 바치는 것이 아니라 신에게 바치기 위한 전용 동전을 사서 바친다.
이 세상의 동전은 다쳤기 때문에 신에게 바칠 수 없다.
신에게 바치기 위한 거룩한 동전을 바치다.
그런데도 예수님은 화를 낸다.
어째서인가.
예수님은 16절에서 말씀하셨다.
"우리 아버지 집을 장사지내서는 안 된다."
신전이 장사꾼이 되어 버렸다.
신전이란 무엇인가.
신이 계신 곳
사람들이 그곳에 모이는 것은 하나님을 예배하기 위해서다.
신전은 예배의 집이어야 한다.
그런데도 신전이 장사꾼이 되어 버린다고 예수님은 말한다.
그러나 거기까지 말할 수 있을까.
동물을 사는 것도 환전하는 것도 신에게 바치기 위해서.
그런데도 예배 장소가 되지 않은 이래서야 장삿집이라고 할 수 있겠는가.
이것은 이후의 예수님의 말씀을 보고 가면 알 수 있다.
유대인들은 화를 내며 예수님께 기적을 보여 보라고 했다.
이것은, 「이런 일을 한다는 것은, 너는 신이 내린 사람이구나, 그렇다면 증거를 보여라」라는 것.
이에 예수는 대답했다.
이 신전을 부수어 보라.사흘 만에 다시 짓겠다."
이 바로 세우기란 말은 부활시키겠다는 말.
사흘 만에라고 물으면 예수님이 십자가에 못 박힌 지 사흘 만에 부활했던 기억이 난다.
별로 예수님이 지금부터 미래를 말씀하셔도 이상하지 않다.
신기한 것은 예수님이 말하는 이 신전이라는 것은 예수님 자신의 몸이었다.
몸이 왜 신전인가.
조금 후 시대가 되겠지만 기독교가 확산되자 교회가 박해받게 됐다.
바울이라는 유대인은 기독교회를 박해하는 지도자였다.
기독교라는 것은 잘못됐다고 생각하고 박해했다.
그러나 교회를 쓰러뜨리기 위해 다마스코라는 동네로 가던 중 바울은 그리스도의 목소리를 들었다.
그리스도의 목소리가 바울에게 말을 걸었다.
왜 나를 박해하는가.
여기서 바울은 크리스천이 되어가는데 바울이 이때 박해했던 곳은 기독교인이다.
그런데 예수님은 왜 나를 박해하느냐고 하셨다.
교회는 예수님 자신.
예수 자신이 그렇게 말하고 있다.
교회는 나다.
나는 교회다.
성경의 다른 곳에서는 교회는 그리스도의 몸이라고 쓰여 있다.
교회 안에는 여러 사람이 있지만 그것은 한 인간의 몸에 여러 부분이 있는 것과 같다.
여러 사람이 있지만 여러 사람이 한 몸이 되어 예배드리고 있다.
그것이 그리스도의 몸인 교회.
그리고 우리 기독교인의 예배와 이 시대의 이 신전에서의 예배는 다르다.
이 신전에서도 예배드리기는 했다.
그러나 신전 안에서 신이 계신 곳이 정해져 있고 신전의 가장 안쪽 방.
그 방에는 1년에 한 번 유대교의 우두머리인 대제사가 혼자 들어간다.
즉, 신을 직접 예배할 수 있는 사람은 1년에 한 번, 한 사람뿐이다.
다른 사람들은 그때 그곳에 있어도 예배의 모습을 상상할 정도밖에 할 수 없다.
하나님 앞에 서는 것은 한 사람뿐이다.
다른 사람은 신전 안의 홀에서 기다린다.
아니, 신전 안에 넣는 건 좋은 분.
대부분의 사람들은 건물 안으로 들어갈 수 없다.
건물 밖에서 기다리다.
건물이 잘 보이는 곳에 있으면 좋을 분.
신전 건물이 있고 그 주위에 벽이 있어서 여자는 그 벽 밖까지만 들어갈 수 있었다.
그 벽 밖에도 벽이 있어서 이방인은 그 벽 밖까지만 들어갈 수 있었다.
일년에 한 번, 한 사람밖에 직접 예배할 수 없다.
그러기는커녕 사람을 멀리하고 멀리하고.
그러나 예수님께 교회란 자기 몸이고 몸 안에 여러 부분이 있듯이 교회에는 어떤 사람이 있어도 좋다.
그리고 어떤 사람이든 그리스도의 몸 부분.
어떤 사람이든 그리스도를 직접 예배할 수 있다.
그 예수님이 보기에 이 신전은 어떻게 보였을까.
장사 집
예배는 일년에 한번.
하지만 장사는 매일.
그리고 돈을 주고 동물을 사거나 환전하는 것은 여자든 이방인이든 누구나 할 수 있었다.
그리스도에게 이 신전은 장사의 집.
그런 신전을 만드는 데 46년이나 걸렸다.
그리고 이 신전은 이때도 아직 공사를 하고 있었다.
완성됐을 때는 모두 80년이나 걸렸다.
그러나 그 7년 뒤면 이 신전은 로마제국에 파괴되고 만다.
지금도 부서진 채로.
우리는 언제든지 하나님을 예배할 수 있다.
그것은 큰 은혜.
예수님이 주신 은혜
애초에 왜 이 시대의 신전에서는 1년에 한 번, 한 사람밖에 신 앞에 설 수 없었을까.
인간에게는 죄가 있으니까.
왜 동물을 바쳐야 했을까.
동물은 불태워 바친다.
동물의 목숨을 바쳐야 했다.
인간에게 죄가 있으니까.
인간이 벌을 받는 대신 동물의 목숨을 바쳤다.
왜 신전에서 환전을 하는가?
이 세상 돈은 죄로 얼룩져 있으니까.
그러나 예수님은 우리의 죄를 짊어지고 우리 대신 십자가에 걸려 주셨다.
그래서 우리는 언제든지 예배할 수 있다.
이것은 예수님께서 목숨을 걸고 우리에게 주신 은혜.
그래서 예배라는 것에 대해서는 예수님이 진심이 된다.
17절에서 제자들은 당신의 집을 향한 열의가 나를 잡아먹는다고 성경에 쓰여 있는 것을 떠올렸다.
자신을 먹어 치우는 열의
그렇지 않으면 십자가에 못 박힐 수 없다.
예수님은 우리에게 예배를 드리고 싶다.
예배드리면서 예배 속에서 살아갔으면 좋겠다.
이를 위해 목숨을 던지는 열의.
그 열의가 지금 여기에 있다.
This week's sermon, "The Temple of Jesus" (New Testament, John 2:13-22)
13As the Passover of the Jews was approaching, Jesus went up to Jerusalem.14And he saw those who were selling cattle, sheep, and doves in the temple precincts, and those who were sitting and
exchanging money.15Making a whip with a rope, Jesus drove all the sheep and cattle out of the precincts, scattered the money changers' money, and overthrew their stands. overturned, 16and said to
the dove sellers, "You are not here to sell these things. 'Get these things out of here. Do not make my father's house a house of trade." 17The disciples remembered that it was written, "The zeal
for your house consumes me. "18The Jews said to Jesus, "What sign do you intend to show us, that you are doing this? "19Jesus answered and said to them, "Let this temple be destroyed. 19Jesus
answered and said to them, "Destroy this temple, and I will rebuild it in three days. I will rebuild it in three days." 20Then the Jews said, "This temple took forty-six years to build, and you
will rebuild it in three days? "21The temple Jesus was referring to was His body. believed the Bible and the words that Jesus had spoken.
This is the scene where Jesus gets really angry.
This is the only time Jesus ever got this angry.
And this is violence.
Of course, this is also the only time.
But what does it mean to be this angry?
That's how important it is.
It is so important that there is nothing more important.
It is so important that you get really angry.
The place is the temple.
An important place.
In the temple, Jesus was roughing up the people who were doing business.
But these people were doing a necessary business for the temple.
The fact that they were selling cattle, sheep, and doves means that they were selling animals to be offered to God in the temple.
People who came to the Temple would buy animals here and offer them to God.
It does not mean that they had to buy the animals sold there.
However, since the animals were to be offered to God, they should not have any blemish.
However, a cow, a sheep, or a dove might be injured before being brought to the temple.
If that happens, they cannot offer the animal.
That is why people paid money to buy animals and offer them as offerings.
The same goes for money changers.
This was another necessary business for the temple.
They sold coins to offer to God.
People did not offer the coins of this world to God, but they bought coins specially made for offering to God and offered them.
The coins of this world are unclean, so they cannot be offered to God.
We offer holy coins to offer to God.
And yet, Jesus is angry.
Why?
Jesus said in verse 16.
Do not make my Father's house a house of commerce."
The temple has become a house of business.
What is a temple?
It is a place where God is.
People gather there to worship God.
The temple must be a house of worship.
And yet, Jesus says, the temple has become a house of business.
But can we go that far?
We buy animals and exchange money to offer them to God.
And yet, it is not a place of worship, how can we say that this is a house of commerce?
This is what we see when we go to the words of Jesus after this.
The Jews were angry and told Jesus to show them a miracle.
This means, "If you do this, you must be sent by God, then show us the proof.
To which Jesus replied.
"Destroy this temple, and I will rebuild it in three days. I will rebuild it in three days."
This word "rebuild" means "revive.
The phrase "in three days" reminds us that Jesus was crucified and then resurrected three days later.
It is not strange that Jesus would say something in the future from now.
What is strange is that what Jesus means by "this temple" was His own body.
How could a body be a temple?
A little later in time, as Christianity spread, the church was persecuted.
A Jew named Paul was a leader in persecuting the Christian church.
He thought that Christianity was wrong and persecuted it.
However, on his way to the city of Damascus to defeat the church, Paul heard the voice of Christ.
The voice of Christ spoke to Paul.
Why do you persecute me?"
From this point on, Paul became a Christian, but it was the Christian church that Paul was persecuting at this time.
But Jesus said, "Why do you persecute Me?
The Church is Jesus Himself.
Jesus Himself says so.
The Church is me.
I am the Church.
Elsewhere in the Bible, it says that the church is the body of Christ.
There are many different people in the church, just as there are many different parts to a human body.
There are many different people, but they worship together as one body.
That is the church, the body of Christ.
And there is a difference between the worship of our Christian church and the worship in this temple of this time period.
There was worship in this temple as well.
But there is a certain place in the temple where God is present, the innermost room of the temple.
In that room, once a year, the High Priest, the head of Judaism, would enter alone.
In other words, only one person can worship God directly, once a year.
The others can only imagine the worship, even if they are there at that time.
Only one person stands before God.
The others wait in the halls inside the temple.
No, the good ones are allowed inside the temple.
Most people are not allowed inside the building.
They wait outside the building.
It is good if you can get a good view of the building.
There was a temple building with a wall around it, and women were only allowed to go outside the wall.
There was another wall outside of that wall, and Gentiles could only enter to the outside of that wall.
Only one person could worship directly once a year.
On the contrary, keep people away, keep them away.
But for Jesus, the church is His body, and just as there are many parts to the body, there can be any person in the church.
And any person is a part of Christ's body.
Any person can worship Christ directly.
What did this temple look like from that Jesus' point of view?
A house of business.
Worship once a year.
But business is done every day.
And anyone, even women and Gentiles, could pay money to buy animals and exchange money.
For Christ, this temple is a house of commerce.
It took 46 years to build such a temple.
And this temple was still under construction at this time.
When it was completed, it took 80 years in all.
But seven years later, this temple was destroyed by the Roman Empire.
It is still broken to this day.
We can always worship God.
That is a great grace.
A grace that Jesus gave us.
In the first place, why was only one person allowed to stand before God once a year in the temple of this time period?
Because humans have sin.
Why did they have to offer animals?
Animals are offered by burning them.
Why did they have to offer the lives of animals?
Because humans have sin.
Instead of humans being punished, they offered the lives of animals.
Why do we exchange money in the temple?
Because the money of this world is stained with sin.
But Jesus bore our sins and went to the cross in our place.
So we can always worship.
This is the grace that Jesus gave us at the risk of his life.
So when it comes to worship, Jesus gets serious.
In verse 17, the disciples remembered what the Bible says, "The zeal for your house devours me."
A zeal that will devour you.
Otherwise, we would not be able to do things like take up the cross.
Jesus wants us to worship.
He wants us to worship and live in worship.
The zeal to give up our lives for it.
That zeal is here now.
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